私とパードレ

2015年2月 2日 (月)

私とパードレ 小宮広大

1422865499869.jpg
パードレとの出会いは、2012年の春頃だったと思います。

しばらくやっていなかったサッカーでもまたやりたいなーと思っていた頃です。

いつものように休日の昼に、家でゴロゴロ見たいテレビもなく適当に眺めていると、

通販のコマーシャルで、宝野公園が出てきました。そして、パードレの代表である増田さんがセサミンパワーで楽しそうにサッカーをやっている姿でした。

私は、多摩市出身ですが、パードレのチーム名は耳に入れたことがありませんでした。

増田さんの生き生きしている姿と楽しそうにサッカーをやっている姿に惹かれ

早速インターネットで調べてみました。ホームページの内容を見ると選手の思い出などのコメントがありアットホームな印象が伝わってきて、私はこのチームだと思い、パードレの門を叩きました。

それがパードレとの出会いです。

今現在は、毎週の練習行くのを楽しみに日々を過ごし、できる限り毎週の練習に行っています。

こうも楽しみになる要因はなんであろう?と考えてみました。

一つは、人数があつまり大ゲームができることです。

思いっきり体を動かせ、真剣勝負できるのはものすごく醍醐味かなと思います。

この大ゲームがなく、練習ばかりであれば、長続きしなかったかなーと思います。

二つ目は、大ゲームの中で好きなポジションがある程度できることです。

大ゲームで自分の好きなポジションができるということは、自分に必要なスキルが

磨け、今後のサッカー人生の設計もでき、非常にやりがいを持ってやっていけると思っています。

楽しいだけでなく、本気でサッカーに取り組める環境も素晴らしいと思っています。

三つ目は、チームメンバーの人柄です。

皆さんお互いを尊重して、いい関係だなと思います。

悪い冗談や相手を嫌な気持ちにすることは言い合ったりすることはなく

楽しい冗談を言い合ったりしながら、わいわいがやがや楽しくプレーできます。

これらが私が楽しくサッカーを続けている理由かなと思っています。

一つ残念なのが、私の年代のメンバーが少なく対外試合に参加できないことです。

こればかりはどうすることもできず、早く35歳になって参加したいなと思っている次第です。

私は今後のサッカー人生で大きな目標があります。

それは、80歳になるまでサッカーを続けることです。生涯サッカー人としてやっていけたらと思っています。

その為には、無理せず地道に練習に行き続けることが大事かなと思っています。

今年も怪我なく一年を過ごせたらなーと思います!!

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2015年1月30日 (金)

私とパードレ 新沢 誠

あれは2011年のことでした。東日本大震災が3月に起こったあと、日本中が節電に一生懸命なときの夏の出来事でした。


これまでも職場の仲間とサッカーチームを組み、細々と試合のみのサッカーライフを続けていました。

しかし、10代、20代相手の試合はやはり、40歳近くの皆も寄る年波には勝てないこと、また、新入部員の激減も重なり、泣く泣く廃部を決意し、解散に至りました。

解散してから、日々の節電はそれなりの充実感はありましたが、体を動かせないジレンマは溜まる一方でした。

やはり、何かしらの運動が自分には必要であることに気付かされました。


そんな暑いある日、「多摩市にシニアサッカーチームは無いものか」と、ふと思い、PCで検索しました。そこで見つけたのがパードレとの初めての出会いでした。

「あるじゃん!」と思い、このホームページを見ていくと、毎週土曜日に宝野公園で練習を行っているとの事。「早速見学がてら見に行こう!」と思った瞬間、「行かれないじゃん!!」。

この時期は震災の影響で9月末まで節電のため会社が月、火曜休みだったのです。

泣く泣く、10月になるのを待ちました。


そして、待ちに待った2011年10月某日の土曜日、前日に増田代表に体験入部の連絡をし、8時前に宝野公園へ行きました。

一番に嬉しかったことは、どこの馬の骨とも知れない自分を、皆さんが歓迎してくれ、練習中も気さくに話しかけてくれた事です。

やはり、一人で知らないところに飛び込むのはそれなりに勇気が必要だったのですが、すごく安堵したのを今でも覚えています。

初日の練習で「よし!人生最後の所属チームはPADREで決まりだ!」と心に決めました。


それからと言うもの、都合の付く日は練習に出向き、皆と一緒にひとつのボールを追い駆ける週末が楽しみになりました。


ここで自分なりにPADREの特徴でもあり、長所(!?)をまとめてみたいと思います。


1.皆フランク

自分以降も様々な方が入部されていますが、サッカーが好きであればWelcomeです。また、先程も書いたとおり、すぐ仲良しになれます。


2.ヤジが普通のチームよりひどい

これには、最初、戸惑いました。

しかし、このヤジが、サッカーとチームメイトを愛するがゆえの言動であり、なかなか他のチームには出来ない事かと思います。

稀に言い合いになったりするのもご愛嬌。練習や試合が終われば恨むようなことは起きません。


3.異常な参加人数

練習に通いだして驚いたのは、毎回、20人前後の人数が集まり、必ずGameが出来ることです。

社会人の練習ではこの点がなかなか出来ないことかと思います。土曜の早い時間帯に練習があることと、皆が本当にサッカーが好きな証拠でしょう。

大先輩たちとサッカーをやっていると、最近気付いたことがありました。

今までは、自分の持てる力を発揮してサッカーを楽しむことに重点を置いていました。

しかし、これからは上手に歳を取ることが重要になります。これは、サッカーにも当てはまることであります。

今年から、アラフィフの仲間入りです。

もっと技術力を高め、「サッカーでの上手い歳の重ね方」をして行きたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年12月31日 (水)

私とパードレ 古橋哲哉

1420012021114.jpg
「お尻が大きくなりましたよね。」

通っている、整体の先生に言われるようになりました。

 

パードレに参加したのは、4年前。ちょうど南アフリカのワールドカップが終わった後の秋でした。以来、毎週のように週末はボールを蹴り、サッカーを楽しんでいます。

パードレでは、毎週土曜日に練習があり、日曜日には試合が入ったり、三連休のときには連休最終日にもグランドが確保されていたりと、週末、サッカー漬けで過ごせるように設計されています。おかげで、腰周りに少々、筋肉が付きだしたようです。

その練習も、若い20~30代から、私のようなおっさんまでゆ入り混じっての練習なものですから、結構きつい時もありますが、そういう時はあまり無理はしないようにはしています。とはいうものの、あまりに簡単に抜かれたり、ボールを奪われると、悔しいのは確か。次の機会での“リベンジ”を心に秘めながら、プレーをしています。ちょっと冷静に周りを振り返ってみると、お手本となるプレーはいっぱいころがっています。コーチからいろいろと指導を受けたり、周りの人からアドバイスをもらったりもします。これらを少しずつでも吸収して、目指すは、より楽しいサッカー。何よりも試合が楽しくなるような…。

最近、練習が終わると、頭もけっこう疲れていたりして、サッカーは案外、頭も使うスポーツなのかもしれません。そう言えば、昔、「ダイヤモンド・サッカー」というサッカー番組で、解説をしていた岡野俊一郎氏が、さかんに“イマジネーション”という言葉を口にしていました。

ブラジルでのワールドカップが終わり、次はロシアでのワールドカップ。その頃には、僕も還暦を迎えようとしています。そのときでも“イマジネーション”を豊富に楽しくサッカーができるよう、心技体を整えていきたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2014年10月26日 (日)

私とパードレ第一回「塩原宏」



私とサッカーとの出合いは、オランダ赴任時代に、息子がサッカーを始めた時にさかのぼります。
すでに40歳を過ぎておりましたが、週末に、小学生の息子と近所のオランダ人の子供たちに交じって草サッカーを始めたのがきっかけでした。
その後、息子のサッカーチーム(日本人の)の親父チームに加わり、素晴らしい芝生の上でサッカーを楽しんでおりました。



私とPADREとの出会いは、2009年の4月にオランダから帰任した時です。オランダ時代も、週1-2回オランダの日本人チームでサッカーをしておりましたが、日本に帰国してからも続けたいと考え、オランダ時代にネットで多摩地区のサッカーチームを研究しておりました。大概のチームは、市民のみに限定していたり、なんとなく排他的なホームページが多く、敷居が高いと感じました。

そのなかで、PADREのホームページの、
『サッカーを愛する方ならどなたでもOKです是非毎週一緒にボールを蹴りましょう』とのPADRE代表増田さんのコメントに惹かれ、日本に帰国後すぐに体験で練習に参加しました。初めて体験で練習に参加した時も、みんな気さくに声をかけていただき、アットホームなチームカラーが実感でき即入部を決めました。

PADREは、20代から60代のメンバーからなり、登録メンバーは50人を超えます。毎週土曜日の朝2時間の練習枠の中で、1時間トレーニング、1時間ミニゲームで楽しく汗を流しております。
20代から60代のメンバーが年齢に関係なく一つのボールを追いかけ熱い戦いをくりひろげております。私にとっては、一週間でたまったストレスの解消と、健康維持のために不可欠な行事となっており、真冬でも、どしゃぶりでも必ず参加することにしております。おかげさまで、日本に帰国してからも、健康を維持できており、PADREに大変感謝しております。

PADREの良さをあげるときりがありませんが、個人的には下記の3点を上げたいと思います。
1、楽しくサッカーができること
2、毎週練習をしており、うまい人も私のような素人も常に平等に扱ってくれること
多くのチームは試合のみの活動のようですが、PADREは毎週練習をやっております。また、
うまい下手関係なく試合は全員参加で楽しいサッカーを目指しています。
3、地域密着型のチームであること
オランダは、地域ごとに素晴らしい芝生のサッカーコートをもつクラブチームがあり、親子三代同じチームという家族が普通です。ユニフォームには地元の肉屋の名前がスポンサーでついていたりしています。PADREの新ユニフォームもチームのメンバーの白石塗装とたま整骨院の名前を入れて地域密着型のチームを目指しています。

また、PADREは、様々な年齢層、職種のメンバーがおり、恒例の飲み会もいろいろな話が聞けてとてもいい経験になっております。
秋の富士吉田サッカートーナメント合宿にも3年前から参加しております。一泊二日で4-5試合サッカーを行い、夜は、山梨県や茨城県のサッカーチームの方々との宴会に参加し、サッカー談義に花をさかせています。サッカーを通じで、多くの方と知り合いになれ、楽しい思い出になっております。

PADREには、60歳代なのにすべての練習、試合に参加し、FWで誰よりも走り回れる小野さんという大先輩がおります。私も50代ですが、60歳になっても70歳になってもサッカーができるように頑張りたいと思います。
技術的にはいまだにド素人で、亀のような進歩しかしておりませんが、少しずつでもうまくなるように努力をしていきたいと思います。
皆様これからも懲りずにご指導ください。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月12日 (水)

第25回網野 雄一朗

僕がパードレというチームを知って、もう5年近くになります。

当時の僕は運動と言えば、能瀬さんや舘野さんに佐藤さんや高石くんらと、年に一度のサッカー大会で身体を無理やり動かすか、朝と帰りの駅までの猛ダッシュくらいでした。

そして筋肉や体力と反比例で体重は増加の一途。年齢や体力のなさを自覚しだしたそんな日々でした。

何度か練習試合の相手をしていただき、サッカーはやっぱり見るよりもやるのが好きだなぁと実感しだした34歳の夏、増田さんから誘われ即決し、翌週の宝野での練習で加入の挨拶。その年の12月、陸上競技場で行われたシニア大会公式戦でデビュー!前年度は優勝したと聞かされ、今年は2連覇だ!と…負けたら去年と違うのは誰か一人メンバーに加わったからだなぁと軽いプレッシャーを受け、前日から緊張したことを覚えています。

実際の試合では左サイドハーフでドタドタし、ゴールエリア内にフリーで走り込んだところへ、センタリング、カッコよく右足でボレー。ボールはGKの逆をつくが、ボールはポストを避けていきました。。。

(2連覇したけど、いまも時折その場面がフラッシュバックし、悔しさが込み上げてきます)

今年度同じ大会でやっと公式戦初ゴール!でも悲しいかな、その前に接触プレーで痛めた左手が痛くて・痛くて喜べませんでした…

でもポジションを代わってくれた大久保さんと、滅多にパスを出さないのに、その時ばかりはきれいなパスをくれた能瀬さんのお二方には感謝です。

感謝と言えば、練習環境や試合への準備などありがとうございます。

今年は用具担当に任命されました。前もって休む際は、なるべく誰かに託しますので、ご協力お願いします。それと次年度に向け名簿の整理も手掛けています。変更ある方は代表までm(_ _)m名簿を整理したので知っています。まだなあなたぜひ書いてくださいね。

さて、最後になりますが、ご存じでない方もいるようなので、この場でお伝えします。

『実は地味だったり地道だったりな練習は嫌いです。サボっていても暖かい目で見守ってください。お願いします(^_^)v(でも今はほんとに、上唇・右肩から腕・右胸・左手人指しと中指・右膝と外側・左脛・左足首・右足裏と大なり小なり痛みがあります)子どもの頃にはこの年齢でもサッカーしている自分を想像できなかった。でも今は身体が無理だと悲鳴上げるまで続けていきたいなぁと思っています。これからもよろしくお願いします。

接触プレーに注意しなきゃと決心したあみのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月25日 (金)

第24回TAKEO

パードレとの出会い

一昨年の夏でした。新居に引っ越してきて5年間、未開封の状態でダンボールに眠っていた。私物をあさっていた時のことです。本の間に挟んであった色あせた一枚の写真が足元にするりと滑り落ちてきました。それは若かりし頃、社会人/武蔵野リーグでサッカーをやっていた時に三鷹の横河グランドで撮った写真、サッカー人生で忘れることの出来ない思い出の一枚でした。
(写真中央に神と神の息子、左端に後にパードレ戦士となったK氏と私がいます。)600dpi_photo_size_zicos

サッカーから遠ざかって15年、忘れかけていたサッカーへの思いに再び明かりが灯った
瞬間でした。当時所属していた FC Maynard 再結成への淡い夢を抱いた私は、近況報告を兼ねて当時のチームメイトに片っ端から連絡を取りました。期待とは裏腹、既にメタボ殿堂入りを果たしていたお父さんも少なくなく、現実は厳しいものでした。

その時の私はフットサルを始めて約2年、月1回程度の頻度で活動をしていましたが、
再び灯った“5号ボールが蹴りて~”という切なる思いは揺らぐことなく、ネットで近隣の
サッカーチームの検索をする日々の始まりでした。

中でも自分と同じ波長で赤い情熱のオーラを発していたのがパードレでした。特にシリーズ“私とパードレ”を拝読したことが部員募集をクリックした決め手となったと言っても過言ではなく、皆さんのパードレに対する熱~い思いに魅せられ、サッカーを愛する一人として、類を以って宝野の地に導かれたというのがきかっけです。 マッチ、サンキュ~です!

初めてのパードレ

初めての練習に参加した夏の暑い日、そこには炎天下にも関わらずボールを追いかける
シニアとユースの皆さん勇姿がありました。その少年のような姿は私にとってどんな
言葉より説得力があり、自分が探していたものを見つけたと確信しました。
即、入部の意思表示をして、毎週末、サッカー少年に戻る日々が始まりました。
サッカー経験・年齢を問わず、毎週サッカーが楽しめるだけでなく、何よりも赤茶けたピッチに戻りたくなる「不思議な何か」がパードレにはあると感じています。

KMさん、ROさんをはじめ、シニア・ユースの皆さん、部員として迎えて頂き
一緒にサッカーが出来ることに感謝します。この場をお借りしてお礼を申し上げます。
有難うございます。

課題の克服

好きなサッカーを出来るだけ長く楽しむ為には何をすべきであるか?フィジカルの弱さが
自分の欠点ですが、フィジカルを語る前に克服すべき課題は怪我の予防に繋がる体づくりでした。
入部当初、練習の翌日は特に股関節の痛みで歩くのも辛いほどであったことを覚えています。

早速、柔軟性を維持しつつ下半身を強化することをテーマに取り組みました。先ずは、股関節の歪みの修正と、柔軟な回転軸づくりを意識したストレッチを毎日風呂上りに10分間やることから始めました。
その上で腹筋から下の股関節周り、内転筋、ハムストリングを中心に週1回の筋トレと少なくとも10キロ以上の走り込みを自分に課しました。 テーパリングによる調整も無視するかの如く、過剰なトレーニングで大会前に燃焼してしまったことが何度かありました(言い訳ですが…)。
何よりも結果が出たと考えているのは、パードレに入部以来、大きな怪我もなくサッカーが出来ている
ということです。 

特にシニアの皆さん、サッカーを楽しませてくれる身体に対する感謝の気持ちとして、
しっかりストレッチをしてケアしてあげましょう。先ずは、オリンピックで My ストレッチマットを購入して、宝野の練習に参加ですよ! 股割りまでの道のりは長いですが、練習前後のwarm-up & cool-down 時にいっしょにやりましょう。ちなみに現時点でのストレッチ教室の会員は大王とその弟子の私の2名です。会員募集中で~す!

今年の目標

昨年の個人目標はミドルシュートを打てるだけのキック力をつけることでした。 内転筋、ハムストリングの筋力強化と、暇さえあれば近所の公園・学校を利用して、20メートル前後のシュートをひたすら打ち込みました。 
客観的な評価として目標が達成出来たか自信はありませんが、自分では精度に問題はあるものの、ミドルが狙えるだけのキック力は具わったと思います。今後は速筋の衰えを遅筋を維持することでどこまでキック力を失わずにやれるかということがポイントですが、キックのスピードよりも飛距離の維持と精度を高めることを意識してやっていこうと思います。ちなみPK職人への道はたてっちに任せます。

今年の目標はFKを完成させることで、ここに宣言します。1年間のリサーチと試行錯誤の結果として達した自分なりの結論は、FKだけは真似することで完成度を高められるものではないということです。理屈を頭に入れて、何度も何度も試行錯誤を重ねて、自分なりの蹴り方を見つける以外に習得方法はないと思います。 
FKに必要な筋力は下ごしらえをやってきましたので、今年こそ、これぞ自分の蹴り方だというものを見つけたいと思います。自分のイメージ通りに納得のいくボールが蹴れて3本中1本が狙ったところに蹴れるようになったら目標達成です。 

パードレの皆さん、共にサッカー人生を謳歌しましょう!“私とパードレ”を見た貴方、さあ部員募集をクリックしましょう! 
サッカー少年になっていっしょにボールを追いかける楽しい日々が待っていますよ!

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月14日 (日)

第23回上原重幸

あれは、とある晴れた日の朝だった。
兼ねてからサッカーチームを探していた私は、blogの練習予定を盗み見てグランドへと足を運んだのだった。
初めて足を踏み入れたグランドでまず目にしたものは、一面の赤茶けた砂利・・・。う~ん。
しかし、そんなグランドで30名近い男達が声を荒らげ走り回っていた。
年の頃は二十歳そこそこの若者から、40代のおじさんもいるだろうか。
バラエティに富んではいるが、一目で皆に共通したサッカーにかける熱い思いが感じられた。
流れ落ちる汗、歯を食いしばってボールを追い続けるその姿。
まだ朝の8時過ぎだと言うのにこのエネルギッシュな集団は何なんだ!
衝撃が脳天を突き抜けた。忘れかけていた遠い昔の熱き思いが、瞬時に呼び起こされたのだった。

これが私とパードレの出会いですが、チーム加入後、常々「いいなぁ」と感じている事があります。
・毎週、土曜の早朝から20歳そこそこの若者がきちんと揃う
 土曜の早朝練習なんてメンバー揃わないことも多いと思いますが、毎週30名近くが出席しているチーム、あまり無いと思います。
・ひとつひとつの練習に真剣に取り組む姿勢、厳しさ
 練習でもガツガツいくし、個々のモチベーションの高さを感じます。
・自分が出場しない試合でも応援に駆けつける
 遠方の会場であっても必ず何人が応援に行っています。
・チームの運営がしっかりしている
 草サッカーでありがちなのが、チームの運営がガタガタしていること。運営にはグランド確保、HP更新、協会への登録、
 ユニフォーム作成、合宿、審判担当等、やらなくてはならない事がたくさんありますが、多忙にもかかわらず労力を惜しまず
 自主的にやっていただいており本当に頭が下がります。

先日の大会で都で2位という輝かしい成績を残せたのも、全てはチームワークの成せる業です。
今後も、こんな素敵なパードレの力に少しでもなれたらと思っています。
決定的チャンスを何度外そうとも、懲りずに末永くよろしくお願いいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第22回菅原俊哉

私がパードレに入部をしたのは、1996年の春である。
すでに、12年目になるが、ほんの数年前のような気がする。
大阪から転勤にともない、多摩センターに引越し、どこかで
サッカーをやりたいなあと思っていた時に、家内が探してきた
パードレの募集案内ちらしで、増田さんに連絡をしたのが、始まりだった。
それまでは、少年サッカーのコーチ、自分も大阪社会人1部
のクラブを運営、地元の市の協会の世話等をしており、
かなり忙しい日々を送っており、そろそろまじめに仕事をしないと
やばいなあという時期での転勤だった。

ほんとにサッカーは大好きなのですが、現在のクラブの出席率、また運営仕事については
ほんとに十分にできていない認識で、増田さん、小野さん他、皆様の好意に
甘えて、試合中心にしか出ていないので、恐縮です。
振り返ると、いろいろありました。
・最初は試合にもなかなか勝てず、多摩シニアの壁は厚かったですが、
 やはり地道な若手の育成(勧誘?)で、パードレの方が選手層が厚く
 なっており、これからはパードレの時代でしょう。
・怪我、2000年の12月に東公園で肩から落ち、鎖骨を骨折しました。
 全身麻酔の手術を2回、トータル1か月入院で、家庭ではサッカー禁止令を
 敷かれてしまいました。また現在左足の太ももの裏の肉離れでなかなか
 治らずに、苦労をしています。年を取ると、いろいろ出てくるものですね。
 皆さん、30歳を超えた位からは、十分ストレッチもさることながら、
 クールダウンも必要でしょうね。
・印象に残る試合
 やはり 一昨年に、秋季のシニアの大会で勝てたことでしょうか。
 今年は、また制限が40歳になったので、どうなるかですが。

最近のサッカーの思いについて、書いてみます。
我々の時代(40代)と違い、サッカーをすることが小さい時から当たり前になり
運動神経のいい子が、野球からサッカーに変わり、またJリーグや欧州の
サッカーの番組も増え、ビデオやDVDで記録し、技やフェイント、戦術の練習が
可能になり、ますます創造性に富むプレーを真似ることが、可能になりました。
フィジカル面も、かなり進歩をし、スピードも早くなりおじさんにはついていけ
なくなっています。
しかしコートはあれだけ広いし、空中戦もまだ開発の余地がありで、
あと5年もすれば、ゴール前はバレーボールのようにAクイック、Bクイック
のような、サインプレーも出てくるのではないかと思っております。

増田さんには、昨年シニアのための、サッカーをやりたくなり、
上達できるような、ビデオを作りたいと宣言をしたのですが、
なかなかできていません。
(ごめんなさい、だれかいっしょに作りましょうか)

最後に試合だけしか参加できていませんが、体力を落とさずに
なんとか維持できているのは、結構地道にトレーニングをしています。
大体、週末2日ともは、腕立て、腹筋、背筋 100回をノルマにしているのと、
一度皆さんもTRYをしてみてはと思うのですが、宝野公園での走るタイムを
自分なりに、記録をして、更新(最近は難しい)しています。
1周:1分を切れればまあまあ(ベストは55秒です、2年前)
5週:6分30秒を切れれば速い(ベストは6分20秒 1年前)
しかし、肉離れをしてからは、1分5秒、6分50秒くらいでしょうか。
時々、出社前や日曜日の夕方他TRYをしています。
やはり、朝より夕方の方が、体は動きますね。

現在は、リハビリ中ですが、あと1か月ぐらいでなんとか復活をしたいと
思っておりますので今後ともよろしくお願いします。

菅原070729vs_001

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第21回大塚竹幸

パードレのみなさん、こんにちは。
とってもいい季節になりましたねぇ。
入部させていただいて、3年1ヶ月が経ちました。
はじめに、これまで一緒にサッカーを楽しませてくれたパードレのシニアの皆さん、ユースのみなさんに感謝します。ありがとうございます。
こうしてみなさんと毎週サッカーで楽しめるのは、あの時、あそこで、伝説のポスターを見たことで始まりました。

1970年、日本の子供が大好きなもの「巨人・大鵬・卵焼」
御多分に洩れず野球少年だった私は毎日暗くなるまで、泥だらけになって野球をしていた。家にはやって来て間もないカラーテレビ。新聞のテレビ欄にまだ「カラー」のマークのある時代。
その日もいつもと同じように腹を空かせて泥だらけになって帰ってきたら、そこには観たことのないスポーツ中継が放映されていた。黄色のシャツに褐色の肌に白い歯がやけに目立つ。ゴムまりのように動き回る躍動感。野球少年に衝撃は少なくなかった。
翌日にはサッカー少年になっていた。そして、好きな色は卵焼と同じ黄色にした。(当時カナリヤ色と言っていたかは記憶がありません。)
このときのペレたちは3度のワールドカップ優勝を果たし、ジュール・リメ杯の永久保持を獲得したのでした。
4年後、更なる衝撃を受け、ラッキーカラーはオレンジに決めた。 「白いペレ」といわれた、クライフの登場だ。中盤にはクライフと同じ名前のヨハン・ニースケンス。西ドイツはベッケンバウワー、オベラーツ、ミューラーなど。タレントぞろいの大会だった。サッカーバカ少年のシューズはもちろん、「クライフ スパースター」
そして、また四年後、サッカーバカ少年の原形となった全員スピードとパワーの突撃サッカーに出会う。マリオ・ケンペス。 トランクスを小さくした。(このときのアルゼンチンのパンツがホットパンツみたいだった。)50mを5.9秒、100mを11.2秒で走った。(今は見る影もない(;_;))
このあと、サッカーバカは大学へ進んだが理工系ということもあり部活はせず、燃え尽きてしまったかのようにボール蹴りを止めてしまった。 実は不健康な夜の世界を知ってしまったのです。 ^0^)。
夜の世界を抜け出し、ホワイトカラーとして就職し5年ほど経ったころ長野へ転勤。緑豊な長野ではゴルフバカオヤジに変身した。毎日500回の素振りをして、県のアマチュア大会に出場したり、ゴルフに燃えているような気がしていた。
年月が流れ、子供も成長し地元のサッカー少年団に入団。子供に高校サッカーを見せようとMウェーヴ(長野オリンピックの施設を改修したサッカー専用スタジアム)に行ったとき、衝撃的な再会があった。高校時代の先輩が上田西高校の監督となっていて弱小チームを10年かけて全国選手権大会出場を果たした。  このときは自分のことのように泣けた。
ここから、息子のサッカーに情熱を傾けるサッカーバカにもどることになるわけだが、それまでの不摂生がたたり入院。そしてまた転勤。16年間の長野生活が終わり、ついに東京へ。  そして、鶴牧に移り住み、近所の床屋に行ったときにミスターパードレの力作である伝説のパードレシニア募集のポスターと遭遇!=よみがえるサッカーバカオヤジ!!!
子供時代、青春時代からオヤジになって環境が変わり、特に体力は悲しいほど変わったけど思いはあの時と同じ。まだ燃え尽きていなかった。
今週で10ヶ月の単身赴任生活も終了し終電で多摩に帰ってくるパターンも終わりを告げ、金曜の夜は酒も飲まず、パードレ中心の生活に戻ります。  
運命の如くパードレにめぐり合えてとても幸せを感じています。日常から離れ、フランクに時には真剣に仲間とボールを追いかけるパードレは最高ですよ。
サッカーだけのために行ったソウル合宿。
エロ話と恋話に盛り上がり、二日酔いでも走った波崎合宿。
最高の特別な思い出です。
このままずっとパードレを続けていけたらと思いつつパードレのみんなに感謝です。

大塚 竹幸070512_001

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第20回村崎拓

あれは自分が都会で もやしっ子生活を満喫し
サッカーはするものではなく、見るものとなっていた頃のこと。
高校時代のサッカー部キャプテンが就職によって上京してきたことが始まりだった。

ある夏の暑い日に奴に多摩川河川敷へ呼び出された。
二人でボールを蹴りながらも、奴のその目は散歩される犬に釘付けだった。
「何、犬ばっか見てんねん?変態か!?」
俺がそう言うと奴は誤魔化すように、
「たく、サッカー好きか?」
と聞いてきた。

こうしてサッカーが好きという点で繋がったパードレというチームに出会いました。

最初の頃は、アップの段階でバテ、スローインしただけで足がつりかけていた自分も、
段々サッカーは見るものから、するものへと変わっていきました。

遠征で韓国へ行ったのも、サッカーと食事と銭湯だけしか記憶にないけど
とてもいい思い出です。
今ではもう、パードレでのサッカーとその仲間が、とても大切なものになりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)