私とパードレ

2008年3月12日 (水)

第25回網野 雄一朗

僕がパードレというチームを知って、もう5年近くになります。

当時の僕は運動と言えば、能瀬さんや舘野さんに佐藤さんや高石くんらと、年に一度のサッカー大会で身体を無理やり動かすか、朝と帰りの駅までの猛ダッシュくらいでした。

そして筋肉や体力と反比例で体重は増加の一途。年齢や体力のなさを自覚しだしたそんな日々でした。

何度か練習試合の相手をしていただき、サッカーはやっぱり見るよりもやるのが好きだなぁと実感しだした34歳の夏、増田さんから誘われ即決し、翌週の宝野での練習で加入の挨拶。その年の12月、陸上競技場で行われたシニア大会公式戦でデビュー!前年度は優勝したと聞かされ、今年は2連覇だ!と…負けたら去年と違うのは誰か一人メンバーに加わったからだなぁと軽いプレッシャーを受け、前日から緊張したことを覚えています。

実際の試合では左サイドハーフでドタドタし、ゴールエリア内にフリーで走り込んだところへ、センタリング、カッコよく右足でボレー。ボールはGKの逆をつくが、ボールはポストを避けていきました。。。

(2連覇したけど、いまも時折その場面がフラッシュバックし、悔しさが込み上げてきます)

今年度同じ大会でやっと公式戦初ゴール!でも悲しいかな、その前に接触プレーで痛めた左手が痛くて・痛くて喜べませんでした…

でもポジションを代わってくれた大久保さんと、滅多にパスを出さないのに、その時ばかりはきれいなパスをくれた能瀬さんのお二方には感謝です。

感謝と言えば、練習環境や試合への準備などありがとうございます。

今年は用具担当に任命されました。前もって休む際は、なるべく誰かに託しますので、ご協力お願いします。それと次年度に向け名簿の整理も手掛けています。変更ある方は代表までm(_ _)m名簿を整理したので知っています。まだなあなたぜひ書いてくださいね。

さて、最後になりますが、ご存じでない方もいるようなので、この場でお伝えします。

『実は地味だったり地道だったりな練習は嫌いです。サボっていても暖かい目で見守ってください。お願いします(^_^)v(でも今はほんとに、上唇・右肩から腕・右胸・左手人指しと中指・右膝と外側・左脛・左足首・右足裏と大なり小なり痛みがあります)子どもの頃にはこの年齢でもサッカーしている自分を想像できなかった。でも今は身体が無理だと悲鳴上げるまで続けていきたいなぁと思っています。これからもよろしくお願いします。

接触プレーに注意しなきゃと決心したあみのでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月25日 (金)

第24回TAKEO

パードレとの出会い

一昨年の夏でした。新居に引っ越してきて5年間、未開封の状態でダンボールに眠っていた。私物をあさっていた時のことです。本の間に挟んであった色あせた一枚の写真が足元にするりと滑り落ちてきました。それは若かりし頃、社会人/武蔵野リーグでサッカーをやっていた時に三鷹の横河グランドで撮った写真、サッカー人生で忘れることの出来ない思い出の一枚でした。
(写真中央に神と神の息子、左端に後にパードレ戦士となったK氏と私がいます。)600dpi_photo_size_zicos

サッカーから遠ざかって15年、忘れかけていたサッカーへの思いに再び明かりが灯った
瞬間でした。当時所属していた FC Maynard 再結成への淡い夢を抱いた私は、近況報告を兼ねて当時のチームメイトに片っ端から連絡を取りました。期待とは裏腹、既にメタボ殿堂入りを果たしていたお父さんも少なくなく、現実は厳しいものでした。

その時の私はフットサルを始めて約2年、月1回程度の頻度で活動をしていましたが、
再び灯った“5号ボールが蹴りて~”という切なる思いは揺らぐことなく、ネットで近隣の
サッカーチームの検索をする日々の始まりでした。

中でも自分と同じ波長で赤い情熱のオーラを発していたのがパードレでした。特にシリーズ“私とパードレ”を拝読したことが部員募集をクリックした決め手となったと言っても過言ではなく、皆さんのパードレに対する熱~い思いに魅せられ、サッカーを愛する一人として、類を以って宝野の地に導かれたというのがきかっけです。 マッチ、サンキュ~です!

初めてのパードレ

初めての練習に参加した夏の暑い日、そこには炎天下にも関わらずボールを追いかける
シニアとユースの皆さん勇姿がありました。その少年のような姿は私にとってどんな
言葉より説得力があり、自分が探していたものを見つけたと確信しました。
即、入部の意思表示をして、毎週末、サッカー少年に戻る日々が始まりました。
サッカー経験・年齢を問わず、毎週サッカーが楽しめるだけでなく、何よりも赤茶けたピッチに戻りたくなる「不思議な何か」がパードレにはあると感じています。

KMさん、ROさんをはじめ、シニア・ユースの皆さん、部員として迎えて頂き
一緒にサッカーが出来ることに感謝します。この場をお借りしてお礼を申し上げます。
有難うございます。

課題の克服

好きなサッカーを出来るだけ長く楽しむ為には何をすべきであるか?フィジカルの弱さが
自分の欠点ですが、フィジカルを語る前に克服すべき課題は怪我の予防に繋がる体づくりでした。
入部当初、練習の翌日は特に股関節の痛みで歩くのも辛いほどであったことを覚えています。

早速、柔軟性を維持しつつ下半身を強化することをテーマに取り組みました。先ずは、股関節の歪みの修正と、柔軟な回転軸づくりを意識したストレッチを毎日風呂上りに10分間やることから始めました。
その上で腹筋から下の股関節周り、内転筋、ハムストリングを中心に週1回の筋トレと少なくとも10キロ以上の走り込みを自分に課しました。 テーパリングによる調整も無視するかの如く、過剰なトレーニングで大会前に燃焼してしまったことが何度かありました(言い訳ですが…)。
何よりも結果が出たと考えているのは、パードレに入部以来、大きな怪我もなくサッカーが出来ている
ということです。 

特にシニアの皆さん、サッカーを楽しませてくれる身体に対する感謝の気持ちとして、
しっかりストレッチをしてケアしてあげましょう。先ずは、オリンピックで My ストレッチマットを購入して、宝野の練習に参加ですよ! 股割りまでの道のりは長いですが、練習前後のwarm-up & cool-down 時にいっしょにやりましょう。ちなみに現時点でのストレッチ教室の会員は大王とその弟子の私の2名です。会員募集中で~す!

今年の目標

昨年の個人目標はミドルシュートを打てるだけのキック力をつけることでした。 内転筋、ハムストリングの筋力強化と、暇さえあれば近所の公園・学校を利用して、20メートル前後のシュートをひたすら打ち込みました。 
客観的な評価として目標が達成出来たか自信はありませんが、自分では精度に問題はあるものの、ミドルが狙えるだけのキック力は具わったと思います。今後は速筋の衰えを遅筋を維持することでどこまでキック力を失わずにやれるかということがポイントですが、キックのスピードよりも飛距離の維持と精度を高めることを意識してやっていこうと思います。ちなみPK職人への道はたてっちに任せます。

今年の目標はFKを完成させることで、ここに宣言します。1年間のリサーチと試行錯誤の結果として達した自分なりの結論は、FKだけは真似することで完成度を高められるものではないということです。理屈を頭に入れて、何度も何度も試行錯誤を重ねて、自分なりの蹴り方を見つける以外に習得方法はないと思います。 
FKに必要な筋力は下ごしらえをやってきましたので、今年こそ、これぞ自分の蹴り方だというものを見つけたいと思います。自分のイメージ通りに納得のいくボールが蹴れて3本中1本が狙ったところに蹴れるようになったら目標達成です。 

パードレの皆さん、共にサッカー人生を謳歌しましょう!“私とパードレ”を見た貴方、さあ部員募集をクリックしましょう! 
サッカー少年になっていっしょにボールを追いかける楽しい日々が待っていますよ!

  

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年10月14日 (日)

第23回上原重幸

あれは、とある晴れた日の朝だった。
兼ねてからサッカーチームを探していた私は、blogの練習予定を盗み見てグランドへと足を運んだのだった。
初めて足を踏み入れたグランドでまず目にしたものは、一面の赤茶けた砂利・・・。う~ん。
しかし、そんなグランドで30名近い男達が声を荒らげ走り回っていた。
年の頃は二十歳そこそこの若者から、40代のおじさんもいるだろうか。
バラエティに富んではいるが、一目で皆に共通したサッカーにかける熱い思いが感じられた。
流れ落ちる汗、歯を食いしばってボールを追い続けるその姿。
まだ朝の8時過ぎだと言うのにこのエネルギッシュな集団は何なんだ!
衝撃が脳天を突き抜けた。忘れかけていた遠い昔の熱き思いが、瞬時に呼び起こされたのだった。

これが私とパードレの出会いですが、チーム加入後、常々「いいなぁ」と感じている事があります。
・毎週、土曜の早朝から20歳そこそこの若者がきちんと揃う
 土曜の早朝練習なんてメンバー揃わないことも多いと思いますが、毎週30名近くが出席しているチーム、あまり無いと思います。
・ひとつひとつの練習に真剣に取り組む姿勢、厳しさ
 練習でもガツガツいくし、個々のモチベーションの高さを感じます。
・自分が出場しない試合でも応援に駆けつける
 遠方の会場であっても必ず何人が応援に行っています。
・チームの運営がしっかりしている
 草サッカーでありがちなのが、チームの運営がガタガタしていること。運営にはグランド確保、HP更新、協会への登録、
 ユニフォーム作成、合宿、審判担当等、やらなくてはならない事がたくさんありますが、多忙にもかかわらず労力を惜しまず
 自主的にやっていただいており本当に頭が下がります。

先日の大会で都で2位という輝かしい成績を残せたのも、全てはチームワークの成せる業です。
今後も、こんな素敵なパードレの力に少しでもなれたらと思っています。
決定的チャンスを何度外そうとも、懲りずに末永くよろしくお願いいたします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第22回菅原俊哉

私がパードレに入部をしたのは、1996年の春である。
すでに、12年目になるが、ほんの数年前のような気がする。
大阪から転勤にともない、多摩センターに引越し、どこかで
サッカーをやりたいなあと思っていた時に、家内が探してきた
パードレの募集案内ちらしで、増田さんに連絡をしたのが、始まりだった。
それまでは、少年サッカーのコーチ、自分も大阪社会人1部
のクラブを運営、地元の市の協会の世話等をしており、
かなり忙しい日々を送っており、そろそろまじめに仕事をしないと
やばいなあという時期での転勤だった。

ほんとにサッカーは大好きなのですが、現在のクラブの出席率、また運営仕事については
ほんとに十分にできていない認識で、増田さん、小野さん他、皆様の好意に
甘えて、試合中心にしか出ていないので、恐縮です。
振り返ると、いろいろありました。
・最初は試合にもなかなか勝てず、多摩シニアの壁は厚かったですが、
 やはり地道な若手の育成(勧誘?)で、パードレの方が選手層が厚く
 なっており、これからはパードレの時代でしょう。
・怪我、2000年の12月に東公園で肩から落ち、鎖骨を骨折しました。
 全身麻酔の手術を2回、トータル1か月入院で、家庭ではサッカー禁止令を
 敷かれてしまいました。また現在左足の太ももの裏の肉離れでなかなか
 治らずに、苦労をしています。年を取ると、いろいろ出てくるものですね。
 皆さん、30歳を超えた位からは、十分ストレッチもさることながら、
 クールダウンも必要でしょうね。
・印象に残る試合
 やはり 一昨年に、秋季のシニアの大会で勝てたことでしょうか。
 今年は、また制限が40歳になったので、どうなるかですが。

最近のサッカーの思いについて、書いてみます。
我々の時代(40代)と違い、サッカーをすることが小さい時から当たり前になり
運動神経のいい子が、野球からサッカーに変わり、またJリーグや欧州の
サッカーの番組も増え、ビデオやDVDで記録し、技やフェイント、戦術の練習が
可能になり、ますます創造性に富むプレーを真似ることが、可能になりました。
フィジカル面も、かなり進歩をし、スピードも早くなりおじさんにはついていけ
なくなっています。
しかしコートはあれだけ広いし、空中戦もまだ開発の余地がありで、
あと5年もすれば、ゴール前はバレーボールのようにAクイック、Bクイック
のような、サインプレーも出てくるのではないかと思っております。

増田さんには、昨年シニアのための、サッカーをやりたくなり、
上達できるような、ビデオを作りたいと宣言をしたのですが、
なかなかできていません。
(ごめんなさい、だれかいっしょに作りましょうか)

最後に試合だけしか参加できていませんが、体力を落とさずに
なんとか維持できているのは、結構地道にトレーニングをしています。
大体、週末2日ともは、腕立て、腹筋、背筋 100回をノルマにしているのと、
一度皆さんもTRYをしてみてはと思うのですが、宝野公園での走るタイムを
自分なりに、記録をして、更新(最近は難しい)しています。
1周:1分を切れればまあまあ(ベストは55秒です、2年前)
5週:6分30秒を切れれば速い(ベストは6分20秒 1年前)
しかし、肉離れをしてからは、1分5秒、6分50秒くらいでしょうか。
時々、出社前や日曜日の夕方他TRYをしています。
やはり、朝より夕方の方が、体は動きますね。

現在は、リハビリ中ですが、あと1か月ぐらいでなんとか復活をしたいと
思っておりますので今後ともよろしくお願いします。

菅原070729vs_001

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第21回大塚竹幸

パードレのみなさん、こんにちは。
とってもいい季節になりましたねぇ。
入部させていただいて、3年1ヶ月が経ちました。
はじめに、これまで一緒にサッカーを楽しませてくれたパードレのシニアの皆さん、ユースのみなさんに感謝します。ありがとうございます。
こうしてみなさんと毎週サッカーで楽しめるのは、あの時、あそこで、伝説のポスターを見たことで始まりました。

1970年、日本の子供が大好きなもの「巨人・大鵬・卵焼」
御多分に洩れず野球少年だった私は毎日暗くなるまで、泥だらけになって野球をしていた。家にはやって来て間もないカラーテレビ。新聞のテレビ欄にまだ「カラー」のマークのある時代。
その日もいつもと同じように腹を空かせて泥だらけになって帰ってきたら、そこには観たことのないスポーツ中継が放映されていた。黄色のシャツに褐色の肌に白い歯がやけに目立つ。ゴムまりのように動き回る躍動感。野球少年に衝撃は少なくなかった。
翌日にはサッカー少年になっていた。そして、好きな色は卵焼と同じ黄色にした。(当時カナリヤ色と言っていたかは記憶がありません。)
このときのペレたちは3度のワールドカップ優勝を果たし、ジュール・リメ杯の永久保持を獲得したのでした。
4年後、更なる衝撃を受け、ラッキーカラーはオレンジに決めた。 「白いペレ」といわれた、クライフの登場だ。中盤にはクライフと同じ名前のヨハン・ニースケンス。西ドイツはベッケンバウワー、オベラーツ、ミューラーなど。タレントぞろいの大会だった。サッカーバカ少年のシューズはもちろん、「クライフ スパースター」
そして、また四年後、サッカーバカ少年の原形となった全員スピードとパワーの突撃サッカーに出会う。マリオ・ケンペス。 トランクスを小さくした。(このときのアルゼンチンのパンツがホットパンツみたいだった。)50mを5.9秒、100mを11.2秒で走った。(今は見る影もない(;_;))
このあと、サッカーバカは大学へ進んだが理工系ということもあり部活はせず、燃え尽きてしまったかのようにボール蹴りを止めてしまった。 実は不健康な夜の世界を知ってしまったのです。 ^0^)。
夜の世界を抜け出し、ホワイトカラーとして就職し5年ほど経ったころ長野へ転勤。緑豊な長野ではゴルフバカオヤジに変身した。毎日500回の素振りをして、県のアマチュア大会に出場したり、ゴルフに燃えているような気がしていた。
年月が流れ、子供も成長し地元のサッカー少年団に入団。子供に高校サッカーを見せようとMウェーヴ(長野オリンピックの施設を改修したサッカー専用スタジアム)に行ったとき、衝撃的な再会があった。高校時代の先輩が上田西高校の監督となっていて弱小チームを10年かけて全国選手権大会出場を果たした。  このときは自分のことのように泣けた。
ここから、息子のサッカーに情熱を傾けるサッカーバカにもどることになるわけだが、それまでの不摂生がたたり入院。そしてまた転勤。16年間の長野生活が終わり、ついに東京へ。  そして、鶴牧に移り住み、近所の床屋に行ったときにミスターパードレの力作である伝説のパードレシニア募集のポスターと遭遇!=よみがえるサッカーバカオヤジ!!!
子供時代、青春時代からオヤジになって環境が変わり、特に体力は悲しいほど変わったけど思いはあの時と同じ。まだ燃え尽きていなかった。
今週で10ヶ月の単身赴任生活も終了し終電で多摩に帰ってくるパターンも終わりを告げ、金曜の夜は酒も飲まず、パードレ中心の生活に戻ります。  
運命の如くパードレにめぐり合えてとても幸せを感じています。日常から離れ、フランクに時には真剣に仲間とボールを追いかけるパードレは最高ですよ。
サッカーだけのために行ったソウル合宿。
エロ話と恋話に盛り上がり、二日酔いでも走った波崎合宿。
最高の特別な思い出です。
このままずっとパードレを続けていけたらと思いつつパードレのみんなに感謝です。

大塚 竹幸070512_001

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第20回村崎拓

あれは自分が都会で もやしっ子生活を満喫し
サッカーはするものではなく、見るものとなっていた頃のこと。
高校時代のサッカー部キャプテンが就職によって上京してきたことが始まりだった。

ある夏の暑い日に奴に多摩川河川敷へ呼び出された。
二人でボールを蹴りながらも、奴のその目は散歩される犬に釘付けだった。
「何、犬ばっか見てんねん?変態か!?」
俺がそう言うと奴は誤魔化すように、
「たく、サッカー好きか?」
と聞いてきた。

こうしてサッカーが好きという点で繋がったパードレというチームに出会いました。

最初の頃は、アップの段階でバテ、スローインしただけで足がつりかけていた自分も、
段々サッカーは見るものから、するものへと変わっていきました。

遠征で韓国へ行ったのも、サッカーと食事と銭湯だけしか記憶にないけど
とてもいい思い出です。
今ではもう、パードレでのサッカーとその仲間が、とても大切なものになりました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第19回森守

自分がパードレに入ったキッカケは、中学のサッカー部の先生から誘われたのが、
キッカケでした。
前々からパードレにキーパーがいないから、やらないかと誘われてたが中学卒業
してから、なかなか会う機会がなく半年ぐらいしてサッカーがやりたくなり、
先生に頼みに行ったのがキッカケでした。
パードレでの初めての練習の時、何人かは見覚えある顔がいて特に増田さんは印象
がありました。
自分が中学の時パードレと何度か練習試合をした時、「ヤケに切れた動きをした
おじさんが入るなぁー、あのディフェンスラインの統率力はまるで、東洋のコンピュ
ータ奥寺安彦か」と思わせる動きでした。パードレの人達はみんな良い人達ばかりで
、練習に行くのが楽しみでした。それに大会とかも有り自分の力を試したりアピール
でき、勝ち進んで行くと大きな大会や芝のグランドでサッカーが出来るのが嬉しいで
す。
自分がパードレで感じたのが、試合をするたびにチームの人達と信頼関係が深ま
り喜び、助け逢いパードレに入って良かったと実感しました。去年パードレの合宿で
は夜、おじさん達の武勇伝を聞き尊敬の眼差しで、「しみじみパードレに入って良か
った」とブランデー片手に酔いに浸ってました。これからもパードレとともに、自分
自身成長して行きたいと思います・・・・ Photo_13

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第18回石村政登

自分はサッカーを始めたのは小学校の時で、かれこれ十年以上サッカーをしてい
ます。高校を卒業してからは、自分の中でもうサッカーしてるより仕事を優先し
ていかないと、と思い始めた頃パードレと出会いました。パードレは、毎週練習
があり、そして試合も定期的にあり、何よりサッカーが好きな人が集まっている
!サッカーをするのにこんなに理想的な所はないなと思いました。自分の中で、
もう一度本気でサッカーしてみようと思わせてくれました。増田さん小野さんあ
りがとうございます。
今、自分は怪我をしています。これから、怪我を治してまずレギュラーを取りに
いきます。そして試合も勝ちにいきます。大会では、優勝し、もっとでかい大会
に出場します。得点王は、ヤッシーに譲ります。そこで優勝して表彰台の上でみ
んなで長淵の乾杯を熱唱したいです。優勝した翌日その勢いでロト6を当てて当た
った二億円で派手な人生にしていきたいです。
今後のシナリオはここまで考えておきました。とりあえずこのシナリオに向かっ
て突っ走りたいと思います!みんな俺の怪我が治るの楽しみに待ってろよ。強い
チームを造っていきたいです。

次は守君の番です。Photo_4

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第17回阿部功士

ご紹介に預かりました、阿部です。誠に僭越ながら、『私とパードレ』語ります。

あれは4・5年前のこと。

荒れ果てた土地に古い廃屋、草木は生き生きと繁り、牛の異臭攻め、カラスの大
量発生、ハクビシンの群れなど動物たちの暴虐や、サイバーテロでも起こしそう
な秋葉系予備軍たちの集う街で有名な『調布市』がありました。
そんな街でサッカーをこよなく愛する集団がいた!俗に言う【調布組】だ。

彼らは知り合い以外とはまったく会話をしない(ただの人見知りなだけ)、あまり
目立たずすぐに帰宅する(様子を伺ってるだけ)の連中だった。だが、一人のオッ
サンとの出会いによってだんだんとチームに溶け込むことができた。

普段はクリちゃんクリちゃんとセクハラ好きなオッサンなのですが、チームのこ
とになると誰よりもチームのことを想い、ここまで引っ張ってきてくれました。
そんな熱い想いに調布組は心をうたれ、共にサッカーを楽しむ仲間に成長させて
くれました。

そんなパードレは、私の人生の教科書であり、心のより所です!これか らもよろ
しくお願いします。


さて、次のご指名はお馴染み骨折マニア
『ポッキー石村』の出番です。Photo_12

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第16回真壁淳一

思い起こせば、あれは中学3年生の夏…。

その頃の俺といえば喧嘩に明け暮れる毎日。強い奴がいると聞けば決闘を挑みにどこへでも行く。
そんな少年ナイフだった僕の前に、ある日一人の男が現われた。

その男はこう言った。『お前は確かに強い。だがカルチョの世界にはもっと強い奴がたくさんいる…。』
衝撃だった…!

その日から、僕の生活は一変した。明けても暮れてもサッカー漬けの日々。半分馬鹿にしながら始めた
サッカーが、いつしか僕の生活のすべてになっていた。

全ては彼のおかげ。サッカーに出会ったのも、パードレの仲間に出会ったのも…。
そんな彼といつか対戦し、勝利することで恩返しをしたい。パードレの仲間がいればその夢はきっと
叶うはず…!
待ってろ、キングカズ!そして、ありがとう!!

次はパードレのファションリーダーこと『阿部ちゃん』お願いします!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第15回竹内洋平

私がパードレに行くようになったのは、高校生の時、知り合いの高田君に草サッ
カーをやらない?と誘われ、試しに行ってみたのがきっかけでした。当時の私は
、高校の部活動を諸事情で辞めさせられ、毎日やることがなく、悪の道に踏み入
れようとしていました。そんな時にパードレの誘いがあり、最初は暇つぶしにな
れば良いかという程度の軽い気持ちで参加してみました。年齢層が広いことは聞
いていたのですが、実際に参加してみて親子ほど歳の離れた方々が、一つのボー
ルを本気で追い掛けている姿を見て、私の中で忘れていた何かを思い出した気が
しました。皆同じように熱い情熱を持って、サッカーを楽しんでやっている、そ
んな姿を見て、私もサッカーがやりたい、サッカーが大好きだという気持ちに気
付きました。そんな気持ちに気付かせてくれたパードレに心から感謝しています
。私も30代、40代になっても熱い気持ちを持ち続け、サッカーを楽しんでいきた
いと思っています。Photo_3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第14回藤田泰

今年の夏の甲子園は早稲田実業の優勝で幕を閉じました。
灼熱の甲子園で白球を追う高校生球児は格好良いですね。
しかし、実力、年齢に関係無く灼熱の宝野公園でボールを追うパードレメンバーはその何倍も格好良いと思います。
私は高校三年生の夏に親友の高田君とクラスメイトだったっぽい竹崎君に誘われてパードレに入団しました。その日から7年もの月日が流れました。私も高校生から大学生、そして社会人になりましたが、今が一番サッカーを楽しめているし、サッカーに一生懸命になれていると思います。そう思えるのはパードレメンバーみんながサッカーを楽しみ、一生懸命プレーしているからだと思います。
このパードレ独特の『温度』をこれから20年30年ずっと大切にして、引き継いで行きたいきたいと思います。
今シーズンは優勝を狙える位置にいます。絶対優勝してみんなで祝杯をあげましょう!
次回の私とパードレは過去に高校サッカーでその名を轟かせた竹内徹氏の息子・竹内洋平君お願いします!Vssc_001

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第13回栗場知明

私が仕事の都合で東京に住んで、早いもので丸4年が経ちま
した。こちらに来まして、約一ヶ月怠惰な生活を繰返し、イン
ターネットでサッカーチームを探し出したのが、このパードレ
です。当初、右も左も分からない私に対して、皆さんが親切に
接して頂いたのを今でも感謝しています。
 私がサッカーを始めたのが小学校4年生で、中学校、高校、
大学と生活の大半をサッカーに費やしてきました。サッカーで
学んだことは、計り知れないほどたくさんあります。今、パー
ドレという社会人チームという形が今までのサッカー人生の集
大成だと思っています。誰にも強制される事なく、サッカーが
好きな者の集まり、そして理想は、誰かに頼るのではなく、み
んなが率先して行動にうつせるチームになる事だと思います。
 今年も青年の多摩市社会人リーグが始まっています。出場す
るからには、絶対に優勝をしたいです。そして、一昨年の市区
町村大会の無様な結果〔人数不足〕になってしまった大会に再
度挑戦したいです。来年の1月で27歳になります。今できる
事を大切に頑張りたいです。

P.S.次の『私とパードレ』は、最も熱い男の藤田君でお願いし
ます。Photo_11

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第12回高田一生

私が初めてパードレに参加したのが1996年でした。今からちょうど10年前になります。当時は中学3年生でしたので考えると本当に時が経つのは早いものです。
パードレに参加した当初は最年少でしたが今では大学生など下の代も入るようになり自分達の代もユース世代から徐々にA代表世代の年齢になってしまいました。もう今年で25歳になるメンバーが多く、四捨五入すると三十路ですね…。早く下の世代に引継ぎ世代交代を考えねば…というのは嘘でまだまだ頑張りますよ!
この10年間の間にパードレユースとしては2000年に2部で優勝し1部昇格を決めました。しかしその翌年には2部に降格してしまいましたが、1年で1部に復帰し2003年には念願の1部優勝を果たし東京都の市区町村大会にも参加することができました☆昨年は残念ながらあと1歩のところで優勝を逃してしまい2位という結果に終わってしまいましたが、今年は初戦こそ落としたものの残りを全勝し3年ぶりの優勝
を狙っていきたいと思います。
社会人になり平日はほとんど運動する機会もないため土曜のパードレは皆でサッカーもできる非常に最高の環境です☆その環境を何年もかけて作り上げてきてくれたパードレの初期メンバーの方々には感謝しております!
今後の目標としてはチームとして優勝することもそうですが、もっと幅広い世代を増やし各世代ごとにチームを作れるような、そんなビッククラブにしていきたいと思います!今後とも宜しくお願いいたします。
次回の第13回は栗場さんお願いいたします。Photo_10

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第11回増田和久

パードレに入部したのはJリーグ発足した年、今から13年前のことだった。
この年、娘が小4で入部した女子サッカーの連絡チラシに、お父さんサッカーチーム部員募集と書いてあった。
気持ちが高ぶった。
中学で少しかじった程度のサッカーだったが、折からのJリーグの盛り上がりで、長い間土の中に眠っていたサッカーへの熱い思いは見ているだけでは我慢できなくなっていたからだ。
迷うことなく入部を申し出た。
夏前のことだった。
そして、始めて参加した練習で自分の中で何かがはじけた。
その日以来パードレの存在は、空気となった。
スケジュールはいつも最優先で考えるようになっていた。
パードレは、好きなサッカーをやる場だけではなかった。
年代を越えた仲間が出来た。
とにかく最高の仲間だ!
そんな仲間とパスで気持ちが繋がる。
初めてシニア大会で優勝した日は、泣けた。
ユースの試合観戦のワクワク感もいい。
韓国合宿で感じた、言葉はではなくサッカーで通じ合うすばらしさもいい。
楽しい、幸せだ。
今まで年間52回、毎週通ったパードレの練習。
来週から長崎転勤で、月2回となる。
正直少し寂しい。
でも飛んできますからこれからもよろしくお願いします。
パードレファミリーのみなさんへ。
長崎支部長 増田 

次は高田君お願いします。Photo_9

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第10回小野良造

小野良造(まもなく56歳)

今年の4月でパードレも13年目に入ります。ということは私のサッカー人生も13年目になるわけです。結成当初、部員の半分は私同様サッカー未経験の中年でした。だから試合を組んでもまったくゲームにならず「このチーム、こんなんで成立するのかな?」という状態が何年も続きました。それが今や、何度やっても歯が立たなかった老舗チーム「多摩シニア」と試合をやっても気後れすることなく堂々と渡り合えるほどの成長を遂げたのです。すばらしい。
私にとってパードレの魅力は、サッカーの魅力そのものです。牛歩、というよりナメクジの走行に似て1ミリずつぐらいしか前進していかない自分の技術と体力が、パードレ(シニア)の成長と相まっているのでちょうどいいといえばちょうどいいわけで、そのレベルで少しずつサッカーが分かってきたということでしょうか。若いときにサッカーを経験して「ピークを過ぎた」方々と違い、私はこの歳にして未だ発展途上なのです。ピークはまだまだ先なのです(と思っている自分が恐ろしい)。
サッカーをやり始めたきっかけについては、今回のリレー連載と同じようなテーマで、昔書いた文があるので、それをまんま掲載します。


「パードレの週末」

 前後半の40分間、体がもちこたえてくれた。1年前とは大違いだ。しかも、まだ余力が残ってる。今日はまだやれるぞ。
 初めて打ったミドル・シュートも決まった。かっこよくインステップで矢のように鋭くゴールに突き刺さったわけじゃないけど。でも、爽快。ああ、ここまでくるのに幾年月…。

 思えばちょうど2年前、北貝取SCのファミリー大会で、リレーに借り出された時のこと。往年の運動能力(いつのだ)を過信していたわけじゃもちろんなかったし、日頃、武田監督を代表とするスーパーマンたちの肉体には畏敬の念を感じこそすれ、その彼らに混じって何か体を動かすなどとんでもないこと、という自覚も持ち合わせてはいたのだ。とはいえ、トラック一周ぐらいなら完走はできるだろうと、つい出場したのが甘かった。20数年間の酒とバラの日々、その運動レス生活の祟りか、わが息子2名と妻1名、そしてトラック周辺をうずめる大観衆の見守るなか、バトンタッチ寸前で精根尽きて転倒。両膝と両肘に全治2ヶ月の擦り傷。ただの擦り傷が癒えるのに2ヶ月もかかってしまうのも情けなかったが、何よりも小学校のトラック一周すら走れないこの体力のなさが身に染みた。じじい。
 そうか、とうとう俺はじじいになっちゃったのか。ぐすん。
 あの若かった俺が、何とじじいになってしまった! じじいだぜ!! くどいか。
 でも、少なくともせいぜいがナイス・ミドルぐらいでいたかった。

 あれから2年。長かったのか、短かったのか、あっという間の2年とも思えるし、いろんな事あったよなあと思える2年でもあったけど、いずれにせよ、俺は若返ったしまった。20分間を走り回るのが精一杯だったのが、その倍をこなすようになったのだ。すごいことだ。目の下にあったシミもいつの間にかなくなってしまったし。ムフフ。そうだよ、妻よ、見てなさいと言ったろ? ボクは青春が蘇ってしまったのだよ。ひょっとしてスーパーマンになれるかもしれないんだよ。キミはスーパーマンの妻になるんだよ。バカか。
 ほんとは左足首の傷も癒えていないし、最近は新たに右足のインフロントの骨が痛む。そこにサッカーやったあとの2∼3日後に訪れる筋肉痛と腰痛が加わり、月∼金の間の歩行はかなりあやしい。でも、週末パードレがある日は、いつも待ち遠しい。(95年11月5日)

 早いものでこの時からもう10年以上経ちますが、今でも気持ちは同じで、パードレのある週末はいつも待ち遠しく、雨などで流れると「一週間待ったのにもう一週間待たなけゃいけないのか」と、心底がっかりします。60歳ぐらいまでできたらいいなあとずっと思っていましたが、あと数年しかないと思うととんでもありませんね、目標を10年延ばし70にしたいと思います。みんな辞めないでね。

 次回はいよいよ「ミスター・パードレ」増田さんにお願いしたいと思います。Photo_8

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第9回 松尾憲生

「青春時代はモテたいためにサッカーをやった」

もう30年前になる。
憧れの「稲尾」になりたくて野球部に入部した。母一人子一人の息子は、プロ野球選手になれば母に楽をさせてあげられると思っていた。しかし入部した野球部、3カ月は球拾いと、よく分からない掛け声をかけることしかやらしてくれない。1日一度のケツバットも恒例だった。
「こりゃだめだ」と、医者に『脚気』の診断書を書いてもらい退部。近所の女の子となかよく帰宅部と洒落込んでいた。ところが、それを見ていた先輩がいた。
「なんばしよっとか。サッカー部に入らんぎ、くらすっぞ!」
当時のサッカー部は、不良の集まりだった。みんな怖くてなかなか入部しない。部員数もギリギリの12人。次の日から、毎晩遅くまで練習になる。人数が少ないこともあって、即レギュラー。それも右のウイング。右サイドからのセンターリング、切り込んでのシュート。足の速いということだけでのフォワードだった。
サッカー部の先輩はワルが多かったが、モテた。県大会で優勝するようになると、またモテた。モテるために練習をした。そして優勝した。
高校に入ると、サッカー部がなかった。学区制がありサッカー部のある高校は実業高校だけで、普通高校にはなかったのだ。しかたなく、ラグビー部に入部したが、すぐ退部。サッカー同好会を作り、2年生の時にはクラブに昇格させた。名前ばかりの顧問、先輩後輩の上下関係はボクが嫌いだったのでやめた。練習は2時間以上やらなかった。土日は休みにした。部活とはイメージの違うクラブにした。何もかも自由にした。他のクラブからは、やっかまれた。「そがんこつじゃ勝てんばい。ふうくんな」と言われた。
ところが、他の中学出身者がうまいこともあって、1年目で県大会優勝、2年目にはインターハイ、国体出場と、とんとん拍子だった。いうまでもなくモテた。そのためにサッカーをやってきた。新聞にも載った。そんな青春だった。このころまでは。
R大学のセレクションも受けたが、レベルが違うと自信をなくした。大学で同好会に入ったが、九州から出てきた18歳にとって、この魅力ある東京でサッカーだけの青春なんていやだった。だから遊んだ。学生運動が激しいH大学。4年間で試験は1回だけだった。だから遊んだ。バイトもした。

結婚や子育てで中断していたサッカーだが、多摩ニュータウンに転居して、28歳のとき多摩サーカークラブに入った。今の多摩シニアにも、そのころのメンバーが何人かはいる。今度はモテることが目的ではなかった。20代で身体を動かさないと、欲求不満になってしまう。スポーツは総じて好きで、テニスも野球もゴルフもやった。すぐに、そこそこうまくなった。
「でも、何かちがう。ボクのスポーツじゃない」
やっぱり中学のころからの、身体に染み込んだサッカーマインドはそう簡単には変われない。北貝取サッカークラブ・レディスのコーチ、唐木田といっしょにつくった「エスペランサ」を経て、パードレの創設に参加することになる。同年代の仲間は少なくなった。あまり練習に参加できなくても、いつもの仲間がそこにはいる。20歳もの年齢の差がそこでは一体となる。若い人たちからたくさんのエネルギーをもらっている。若い人たちに感謝である。
50歳を過ぎると、あちこち身体がガタついてくる。失敗することも多くなった。チームメイトに迷惑をかけることも多くなった。1試合に1本のパスが通っただけで満足できる年齢になった。90分という時間を共有したチームメイトがそこにいて、グランドにボールがころがる、試合後の夕陽はボクの魂を揺さぶってくれる。
身体の健康のためならサッカーはやらない。サッカーは、ボクにとっての「ロック」なのだ。そこには身体にあったリズムとソウルがある。パードレだからこその、こころ、精神の平安がここにはある。

「サッカープラス」

 よく、「やりたいことがない、無趣味だ」という同年輩の大人がいる。ボクにはとても信じられない。ボクにはやりたいことがたくさんありすぎて、時間が足りないくらいだ。そのためにちょっぴりサッカーの時間を割いて、ほかのことに充てる。
 バイクもダイビングも海外旅行も、酒もデートをする時間も、ボクにとってはサッカーと同じぐらい大切な時間。自分の残された時間を、有意義に、自分らしく、ガマンしないで、やりたいことをやるために、会社員生活に終止符を打った。
 あと何年生きられるかどうかわからないが、やり残したことのないように生きていく。キーワードは、「自分らしく」「わがままに」「かっこよく」だ。
それは、あくまで『サッカープラス』という生き方なのだろうと、自分では思っているPhoto_7

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第8回大久保忠崇

私のサッカーとの出会いは、”メキシコオリンピック”。杉山万歳!!

”赤き血のイレブン”の時は田舎中学サッカー部。玉井?永井?

夜10時からは”三菱ダイヤモンドサッカー”。「サッカーを愛する皆さん....」
派手なジョージ・ベストより”ボンバー”ミューラー。憧れのベッケンバウアー。
クライフ。リベリーノ。

就職し、結婚し、子供が生まれて、全く忘れていたサッカーを呼び覚まして
くれたのが子供のサッカー。

サッカーは子供のためだけの筈はないと、気付かせてくれたのが、
”パードレ”
でした。皆さんに感謝です。

子供だけでなく、自分たちもサッカーを愉しみたいと発足した”パードレ”。
本当にこんなに気兼ねなく愉しめるクラブは、他には無いと思います。
メンバーの人柄による所も大きいのでしょう。
今年で私も50代の仲間入り。パードレの発足と共に青春を取り戻したかの
ような錯覚のまま、50代を迎えられます。

貝取中学サッカー部の指導員になって7年になります。現在の子供の運動
能力は大幅に落ちているそうです。私の時代はどこの学校にも運動神経が
良くて小生意気な子供がいたものです。特に私のサッカー部時代はチョッと
不良の集まり。今の中学サッカー部とは大違いです。
パードレシニアの皆さん。チョッと不良でしたか?
格好だけチョイ悪のチョイ悪オヤジが話題になるような時代。
大人になったチョッと不良が、またサッカーに熱中する方がどんなに格好
いいか?本音で言うと、チョイ悪オヤジ風ファッションは値段高すぎて
手が出ません。休日はパジャマじゃないジャージ姿で過ごしている毎日
です。
「高級ジャージを買わせてください。うちの大蔵省様!」
大久保Photo_6

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第7回上野敦良

おはようございます。パードレの上野(50歳)です。

石田さん、ご推薦いただきましてありがとうございます。

私事ですが、先週とうとうインフルエンザに感染したため隔離され、金曜日にやっとシャバに出て来ることができました。馬鹿は風邪を引かないといいますが、今年は馬鹿も風邪を引くようです。みなさんも気を付けて下さい。

 さて、私がパードレに入れてもらったのが11年前、息子の入っていた北貝取サッカークラブで森さんと一緒にコーチをしている時で、森さんと武田監督に誘われて参加したのが最初でした。当時の思い出はいろいろありますが、入部当初の練習試合で左足を骨折してしまった事です。痛さもありましたがサッカーが出来ない事が一番辛かったことを思い出します。当初はいろいろとケガをしましたが、今考えてみると自分の体力と自分の持っているイメージの違いが原因ではなかったかなと思います。みなさんはいかがでしょうか? 40歳を超えたら体力は確実に落ちてきます、無理が最大の敵です。
 パードレというチームは石田さんが書かれているように、非常にアットホームでしかも年齢職業に関係なく好きな者同士が集まって楽しく集えるサッカーチームだと思います。全員が自分なりに技術の向上のためにボチボチ頑張っている姿がたまらなく好きです。 入部当初の我クラブの状況は、シニア大会では多摩クラブに連戦連敗、1勝する事を目標に朝練・合宿をしてみたものの、またまた返討ちという結果が続きました。ところが3年前こと、悲願かなって勝つ事が出来た時は日本代表のW杯初出場が決まった時以上の感慨がありました。皆様のおかげと感謝しております。
 最近パードレはそろそろ変革の時期に来たかなと思っています。ユースチームは多摩市の優勝を争えるチームになり、また昨年はソウル合宿を成功させ日韓民間国際交流を実現させたことは、多摩地区における我クラブの存在価値が上がってきたのではないかと思っています。多摩地区のサッカー振興と地域発展のため何か貢献できる事があるのでは無いでしょうか? みなさんも考えてみてください。 行き場のない貝中OBの採り込み等 若者の社会教育の手助け等ができたらいいと思います。
 難しい話は置いて、楽しくサーカーができるパードレをみんなで盛り上げて、創設100年を迎えられるようなビッグクラブにしようではありませんか!!!
最後に、我クラブの存続の苦労人、増田さんと小野さんにあらためて感謝するとともに、クラブ員を毎週のように送り出してくれる奥様方に感謝したいと思います。

 僭越ではございますが指名させていただきます。パードレの監督でありバイタリティーの塊! 大久保さんにお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。   
上野敦良 
   2006,1,29Photo_5

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第6回石田豊

突然のご指名に慌てふためきつつ、ついつい先延ばしにしてしまいスミマセンでした。
石田豊(45才)です。

私とパードレの出会いは、思い起こせば7年前の暑い夏に遡ります。
子供のサッカーの相手をしているうちに、自分も球を蹴りたくなりチームを探しておりました。

大学時代まで野球、アーチェリーと運動部に所属し、運動神経には多少の自信はあったのですが、
なにしろ本格的に体を動かすのが十数年ぶり、蓄積された脂肪も十数キロ。しかもサッカーはド素人。
そんな中年オヤジを受け入れてくれるチームなんてある?と心配しつつインターネットで
見つけたのが「パードレ」です。

メールを送ると増田さんからの「来週、待ってます!!」という軽快なメッセージが即座に入り、
平山城址の「京王グランド」でメンバーの方々と初対面したのを思い出します。

普段、仕事ではありえないほどの緊張した面持ちで行ったのですが、皆さんとてもフレンドリーで、
すぐに打ち解け、しかもサッカード素人の私を本当に暖かく迎え入れていただいたのです。

それから7年、今ではパードレなくして私の人生は語れないほどになってきました。
サッカーがやりたくてパードレに入ったのですが、今ではパードレだかこそ、ここまでサッカーが
好きになれたのだ!と断言できます。

練習、練習試合、公式戦、飲み会、どれをとっても最高です。
なんと言っても、年代を超えた付き合いができるし、それでいてベタベタした関係が一切ない。
これが最高!
誰がどこに住んでいて、仕事は何をしていて、なんてのは全く関係のない世界。
でも、サッカーを通じて信じあえる関係。こんなビューティフルな関係は今まで経験したことがありません。

だからこそ、パードレにのめり込んでしまう私です。もはやパードレ症候群に侵されている私。
毎週末になると二日酔いだろうが、寝不足だろうが、とにかくパードレには行きたい!!
土日が雨でつぶれてしまった時などは、近所の子供が道端で蹴っているボールにムラムラと突進して
いきたくなったり、時にはシュートを打っている夢を見て、夜中に部屋の壁を蹴ることも。

隣で見ている家内も最近はあきらめた様子で、週末の予定を立てるときも「パードレは何時だっけ?」と
まず聞いてくれるようになりました。

自分で起きて立ち上がれる限り、何歳になってもパードレのグランドに行こうと思っています。

最後になりましたが、私のサボリを埋めてくれた張君、ありがとう。
能勢君、お褒めの言葉(炎のDF)ありがとう。
でもDFだけではありません。今年はますます進化し、MF、FWにも挑戦するつもりです。

では次のメッセンジャーは同年代の”いぶし銀サイドバッカー”上野さんにお願いします。

石田 豊Photo_4

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第5回張 宇植(じゃん うしく)

明けましておめでとうございます。

私がパードレに入部して、もう今年3年目になりました。
パードレを知ったのはインターネットです。
早速ですがパードレと私について書きます。
パードレは一週間のストレスを飛ばしてくれる所、
パードレを通じてサッカーは本当に面白いものだとい
うことを再び感じるようにしてくれる所でした。
弱いチームと試合する時にサイドから守備を崩して正確なボ
ールを上げてゴールを決めた時の気分は最高ですね。

パードレの活動を通じて私の体の調子が分かる。
たまにユースチームに含めて試合するときのスピードの早さ、
ボディー接続の激しさを感じます。

他の理由もありますが私にとっての一番は
パードレメンバーと出会ったことが一番ですね。
本当に心から感謝する部分です。

いつからかパードレは私の生活の一部を占めていますね
今後とも皆さんよろしくお願いいたします。Photo_2 
/張 宇植(じゃん うしく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第4回能勢圭介

前回までの3名の皆さん、よくぞ、こんなまじめな文を・・・。3人とも付き合いはかなり長く、舘野くん、佐藤くんは(もう一人島原くんもいます)高校時代の同級生ですから、かれこれ20年、高石君とはスキースクールのリーダーと参加者時代からですから、かれこれ15年来の付き合いとなります。が!、初めて彼らがまじめな文を書けることを知りました。
 実は私、サッカーは幼少時代から好きでしたが、ルール等はあまりよく知らず、S.スタローン主演の「勝利への脱出」がサッカーとの出会いだったように覚えています。その中でペレがオーバーヘッドを決めた場面にあこがれてそればっかり放課後、校庭の砂場で練習。友人2人、骨を折りました。
 その後は無縁の学生生活でしたが、結婚後、高石君が我が家へ遊びに来た際、たまたまサッカーの話が出て「地元(日野)の市民大会にでも出るか!」、と言った彼の思いつきの発言のお付き合いをさせられてサッカーをはじめたのがきっかけです。とは言え、これがなかなか面白いが難しい。「オフサイドやら、ボランチやら3-5-2だの4バックだ・・・」「少しサッカーを学習しよう」と言う気持ちと「家事・育児から逃れたい」という思いと舘野君からの誘いが合致して私はパードレを知りました。
 まず、びっくりしたのは皆さん、うまい! よく知っている! 好き!という点。不思議なのは「増田さんの奥様はこの活動をどのように思っているのか?本当に理解を示しているのか?」という点です。仕事関係でもなく、友人関係でも親族関係にもない、特別な関係がパードレにはあり、私にとってはとても大切なものになっています。時間の許す限り、参加させていただきたく思っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。                      文責 能瀬圭介

 さて5人目ですが、同系列が続いておリます。ここで趣向を変えて「覚チャン」といきたかったのですが、年末の練習時に「勘弁してください」ということでしたので炎のDF石田さん(今、ふと浮かんだ)4649お願いいたします。

のせけいすけPhoto_3

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第3回佐藤仁彦

私がパードレに入部して、もう10年が過ぎました。
入部当時は、人数もギリギリで、まだ大会にも参加していない時だったと記憶しています。
年齢も、私だけ結構離れていたのですが、そんな事は関係なく、暖かく迎え入れて頂き
続ける事が出来たのです。
パードレには、そういう暖かい空気がありました。
そして、10年が経ち・・・
パードレも色々と変わりました。
・多摩市の大会に出場する様になりました
 (初勝利の時の、試合終了までの緊張感は未だに忘れられません)
・若いメンバーが増え、若手とシニアの2チームを作れる様になりました
 (若手のチームでは、2部から1部へ見事に昇格しました)
この他にも、まだまだ変わった所は多々ありますが、
始めに感じた暖かい空気だけは、未だに変わっていません。
この先も、この空気は変わらずにあり続けて欲しいと思います。

最後に、
先日行われたシニア大会に於いて、パードレシニア
シニア大会三連覇を達成しました!おめでとうございます!
また、応援して下さった方々、ありがとうございました!
これからも、よろしくお願い致します。                                 佐藤 仁彦Photo_2

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第2回館野祐治

週末の土日、どちらかには必ず練習の日程が組まれており、声を掛け合わなくとも
ぞろぞろと又ぽつぽつとサッカーをしに宝野公園に人が集まり、何となくウォーミングアップと練習が始まります。そんな私も、天気がよく体調もよく予定がなければ、いつもの週
末として朝起きて宝野公園へ向かいます。
 「パードレ」とは私にとって、週末に組み込まれている生活パターンの大切な一部であ
ります。
 と、これで終了しようかと思いましたが、もう少し。
 私は佐藤君に誘われ「パードレ」に入りました。いつ入ったかは明確に思い出せませ
んが、ユースチームのキャプテン高田君が中学生だった様な記憶があるので随分と昔
のことでしょう。
 入った頃のパードレは、練習試合を組んでもメンバーが11人ぎりぎりで交代枠もちょ
っとなどという状況が多かったように思います。集まりそうもないと、増田さんが携帯電話
片手に「試合ですから貝取南公園で待ってます」などと呼び出し電話をかけ、昔から変わ
らずサッカーに情熱をかけておられたこと思い出します。(そういえば、新君もチャチャラで
対戦相手でした)
 今振り返ると、その間にメンバーも増えたり減ったり、主戦場は貝取南公園から宝野
公園へ移り、多摩大会も2部で戦い気持ちだけは目指せ多摩一部などとひそかに思っ
ていました。今はチームもユースとシニアの2チームを有し、ユースは多摩2部にいたチー
ムを1部へと軽やかにに引き上げ、さらりと優勝してみせる強いチームとして存在していま
す。シニアも練習でユースにもまれているお陰もあり、多摩SCを破り、シニア大会で勝
つようになりました。
 いろいろな変化はあったように思いますが、それでも昔と変わらず、グラウンドにいけば
増田さん小野さん上野さん松尾さんなどなどがボールを蹴りに来、「パードレに入りたい
人はいつでもどうぞ」の雰囲気が変わらずあること、これがパードレ居心地の良さでもあり
パードレの良さではないでしょうか。
 これからも大きな波小さな波あると思いますが、私にとって必要な「変わらないパード
レ」が、ここ多摩に5年10年と在り続けてほしいと願ってます。
 これからも宜しくお願いします。  舘野 裕治C170

| | コメント (0) | トラックバック (0)

第1回高石義一

創部12年、現在約40名が在籍するパードレサッカークラブ。
それを記念して、部員から「私とパードレ」というテーマで熱いメッセージ
を書いてもらうことになりました。

その記念すべき第一回は、パードレの切り込み隊長の高石君です。

「私とパードレ」

私、高石義一がパードレと出会ったのは、ポッポFCとパードレの練習試合がきっかけでした。増田さんに声をかけてもらい、館野さん能瀬さんのツテもあり、練習に参加させて貰うようになりました。毎週グランドで練習が出来る環境とシニアの方々からユースの若い衆まで「みんなでサッカーを楽しむ」という精神がパードレにはあり、自分はとてもいいチームに巡り会えたと今でも思っております。
練習、試合、練習試合、忘年会、飲み会、合宿、海外遠征…これまで様々なイベントに参加させて貰い、ずっと在籍してるように見えるかもしれませんが、実はまだ在籍4~5年なんです。とは言え、現在29才。ユースの試合に出れば、もはや最年長!技術も体力も足りずヒーヒー言う有様…かと言ってシニアの大会に出ようにも年齢が足りず…技術向上と体力アップの為にこれからも練習あるのみですね(寒くなると行方不明になったりもしますが)。これから30代(あと半年ちょっとで…)40代と歳を重ねて行くわけですが、今後も体が動く限りパードレの練習に(飲み会も!)参加していきたいです。
毎週楽しい週末を一年中過ごしていく上でパードレの練習やイベントは欠かせないと思っています。シニアの方々からユースの若い衆まで、これからもなにとぞよろしくお願いします。
高石義一Vssc_003

| | コメント (0) | トラックバック (0)