私の思い出のプレー

2009年11月10日 (火)

「私の思い出のプレー」 第13回 高石義一

わしがパードレに入部して早いもので10年近くが経過しました。その間、思い出に残る珍プレーや好プレー、自分の得点シーン等様々かつ多々ありますが、その中から一番印象に残っている(今でもはっきり思い出せる!)忘れられない一本の最高級なスルーパスを選びたいと思います。
3年前の多摩市O-30大会。当時30歳だったわしはある目標を成し遂げるべく試合に挑んでいました。その目標とは
『触れば入る様なラストパスを小野さんに出して、公式戦で小野さんに得点してもらう!』
というものでした。その頃のわしは今でいうシニアチームにくっ付いて韓国合宿や嬬恋合宿に参加させてもらっていました。そして試合の際には小野さんと2トップを組む機会も多々あったのでした。別に小野さんが得点出来ないと言ってるのではありませんよ。自分が出したラストパスから小野さんに得点して欲しかったのです。
そんな中迎えた多摩市O-30大会。前半GKだった小野さんが後半はFWに入り2トップを組む機会が巡って来ました。後半も半ばを過ぎた時、その瞬間はやって来た。
相手に攻め込まれ、味方のクリアボールを自陣右サイドで拾ったわしは後ろに付いた相手を切り返しでターンし抜き去り、前を向いてドリブル。センターサークル手前付近にいた小野さんが相手DF2人と挟まれる様にゴールに向かって走り出す。後ろから追いすがって来た相手を振り切って前を見た時に小野さんと目が合った!小野さんに付いていたDF1人がわしのドリブルを止めるべく向かって来る、もう1人はオフサイドを取るべく小野さんを置き去りにしようした時、小野さんがオフサイドにならないよう一瞬止まった!(能瀬さんにはこの動きが出来ただろうか?)
その時わしには見えた。小野さんに繋がるパスコースが宝野公園の赤いグランドの上に1本の青白く光るラインとなってわしの足元から伸びているのが!
右足インサイドで光っているパスコースになぞるようにパスを出す。同時に小野さんが絶妙のタイミングで再び走り出す。DFにはギリギリ届かない、小野さんにしか届かないコースと速さ、オフサイドはない、中途半端に飛び出したGKと1対1になる小野さん。
『決めてくれ~!』
小野さんのシュートがゴールに入る。鳥肌がたった。自分が得点した時より嬉しかった。アイコンタクト、パスコース、パス速度、タイミング、全てが完璧だった気がする。何より今までに味わった事の無い、ものすごい達成感があった。
自分の得点シーンよりもこの1本のスルーパスの方が思い入れというか印象深い思い出のプレーになっています。これからもパードレの皆さんとこんな思い出を増やすべく練習に試合に頑張ります。あ~毎年の事ながら冬は……ね。

次回は中学、高校の先輩であり、パードレに入るきっかけを作ってくれた能瀬さんにお願いします。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2009年9月 3日 (木)

「私の思い出のプレー」 第12回 舘野裕治 

 私の思い出のプレーというと、1年半前のO-30大会、多摩SC戦と鶴牧戦で決めたコーナーキックからのヘディングシュートでしょうか。どちらもキッカーは高石、僕は遠巻きに動きながらタイミングだけ間違わないように、ゴール正面のある一点に向かってジャンプ一番して会心のヘディング、シュート。入れた自分も少しはよくやったと思いつつ、入ったのは70%高石のおかげだなぁと思ってもいました。長い付き合いである高石とは、昔からCK練習でコーナーキック蹴ってもらってました。昔は球が速く重い上に最後に急激に曲がるためヘディングで当てることで精一杯、ゴール枠に狙ってなど無理無理。そこで、高石が考えたのがゴール正面ジャンプして調度いい高さの1点に向けてボールを蹴ること。僕が行うのは、その真ん中のスペースをDFに空けさせるように動く事とゴール正面一点に向けてタイミングよく飛ぶことだけと思いきや、もう一つ問題が。速さは良いがカーブがかかりすぎて僕の技術では額に当てて狙ってゴール枠に入れることは確立がぐーんと下がってしまう。そんなことにも高石は気づいたか、大会のCKに関しては速いがカーブを緩めにかけ軌道修正、僕は鶴牧戦は特にワンチャンスしかないと思い集中、真ん中のスペースを空ける為、初め真ん中に行きDF引き連れ遠巻きに外れてからダッシュ、大塚さん?か誰かがニアにDFを引き連れ真ん中が空きヘディングシュートでゴール。どちらの試合も引き分けと負けで勝利には繋がりませんでしたが、いろいろ修正を加えて決めたゴールという点においては満足感のある思い出深いゴールとなったのでした。            今年は2年ぶりのO-30大会、今回も叶うことならヘディングシュートを決め、今度は勝ちに繋がるようDF面でも頑張りたいところです。                             次回は、僕の思い出に残るプレーの立役者である高石君、お願いしま090904す。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年8月 5日 (水)

「私の思い出のプレー」第11回 魚住

パードレに入部し、はや9ヶ月が過ぎようとしています。まだ期間は短いですが、もう何年もいるチームのように思えます。つい先日の試合で妻を初めてパードレの試合に連れていきましたが、帰り道での妻の一言が「みなさん本当に40歳以上?」っていうくらいパードレのメンバーが活き活きとグランドを走り回る姿を見て本当にびっくりしていたようです。またこういうチームにいる事に少し安心をしたようでした。ただ、一言「あなたもあれくらい走りなさい」とは言われましたが...

ちょうど去年の9月頃、Over40でサッカーを再開したいなと思いながら、インターネットを調べていると、パードレのHPが目につきました。何となく気になり1週間に1回くらいHPを眺めていましたが、ある日、意を決して管理者である増田さんにメールをしてみました。そうこうして10月初めからパードレに通い始めたのですが、1年半ぶりにサッカーを再開するのは正直とても不安がありました。パードレ初日の練習での「走れない、蹴れない」といった自分のプレーを覚えています。

初日の練習の帰りに、10月末の御殿場合宿参加を聞かれ、正直「えっ」て感じでしたが、そのチームの事を知るには一緒に寝泊りするのが一番だと思い、合宿に参加してみました。結果、パードレというチームがすごく好きになりました。
そんな合宿の初日はLBとCBでプレイし、最初の5分くらいで左膝を痛めました(情けない!!)が、その日は騙し騙しプレーを続けました。2日目には左膝の痛みが悪化し、とりあえずキーパーだったら出来そうなので、キーパーを申し出ました。準決勝は相手の人数が少なかったという事もあり快勝し、そして迎えた決勝戦でした。決勝戦の残り5分くらいになって0対0の時、早く試合が終了しPK戦になることを祈っていました。ただPK戦は5年ぶりくらいだったので、どこまで感覚が鈍っているか、考えた通りにからだが動くかだけが心配でした。
PK戦が始まり、1本目を左の隅に決められました。でも感覚は大丈夫。ただ左足の怪我で、とぶ距離が30cmくらい落ちている事に気付きました。それから4人目までにコースの甘かった2本を止める事ができました。最後の相手の5人目ですが、ここで止めればうちのチームの5人目が蹴らずして勝ちは見えていました。5人目に関しては、読み易く、蹴る瞬間に相手がどの角度でどこに蹴るのか、蹴る前に脳裏に浮かべる事が出来たため、確実に止められると思いました。ただ5人目の自チームのキッカーの事も同時に脳裏に浮かびました(せっかくのPK戦だから全員蹴ってもらいたいと)。そうこう考えているうちに相手の5人目が右隅の私の思い描いたコースに蹴ってくれ、右手の中指と薬指の第一関節にボールを引っ掛ける事ができました。しかし止めようかどうか迷っていたことが、第一関節でボールを弾くタイミングを遅らせてしまいました。その後、大塚さんがPKを決めてくれた事には大変感謝しています。

 私自身は、玉蹴りが上手い下手ではなく、サッカーというゲームの中での楽しみをパードレというチームの中ででわかちあえればいいなと思っています。そのために、今のチームメイトの状態を見て、今の状態での100%のチカラを引出すお手伝いをするのが、自分の一つの楽しみになっています。人によってプレイスタイルは違います。その一人一人のプレイをつなぎ、お互いの持ち味を融合し、パードレカラーが出せたらいいなと思います。
 このページを締めくくる前に、7/27(日)の8人制の試合で私は初の右ハーフのポジションでパードレ初得点を取れた事。その得点が、柴田(ヒロ)さんと、アイコンタクトでイメージどおりのパスをもらい、シュートは体の向きを左サイド狙いにし、キーパーの重心が右側に傾いた時に、アウトサイドに引っ掛けて、キーパーの左側にボールを蹴り込みました。ごろごろのシュートでしたが、キーパーは一歩も動けませんでした。キーパーが一歩も動けないゴールをする事が私の理想のゴールです。また楽しい思い出が一つできました。

少し思い出のプレーとは離れてしまった事もありますが、次は初めてのゲームでCBを一緒に組んだ館野さんにお願いしたいと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月13日 (月)

「私の思い出のプレー」第10回 鈴木

川上さんからパスを受け取り、だいぶ時間が経ってしまいました。
私が思い出に残るプレー・・・・     思い出せない。と、言うより正直ないように思う。
なので、とりあえず私がパードレでプレーを始めた話をしたいと思います。
それは1年半前の12月、その年私は40歳になったのを期に、40歳以上で活動できるサッカーチームを探していました。
その時ひとつのチームのホームページを見つけました。それが「パードレ」でした。
しかしすぐにはコンタクトを取らず何度かホームページを拝見していました。そのホームページは、みんなが楽しそうに、また真剣にサッカーを行っている様子がわかり、練習スケジュールも豊富、また更新も良く行われていました。
 意を決し、代表の増田さんにメールを送ると、すぐに快い返事で「練習の参加、待ってます」とありました。
 いよいよ練習参加日、なんと天気は雨で練習は中止・・・   残念。
2週間後、ようやく練習に参加。冬の寒い朝にメンバーが集まってくる。凄い!
代表の増田さん、メンバーに挨拶。そして練習開始。
ある程度身体を動かしてはいたのでついて行けると思っていたがみんな動ける、ヤバイ!
ボールも足につかない、頑張らねば、そんな事を思いながらのパードレデビューとなった。
 そうそう、本題の思い出のプレーである。  ・・・・やっぱりない。
あえて挙げるとすれば、このパードレでは経験の少ない中盤のポジションでプレーする事が多い。
なかなか戸惑いながらのプレーではあるが楽しい。ボランチの位置ではガツガツいける。でも疲れる。頑張らなきゃ!
 そんな思い出に思い出に残るようなプレーはないが地味にチームに貢献したい。それが思い出に残る私のプレーに
思う。
その為にはもっともっと練習しなきゃダメだな・・・・。と、言う事で練習頑張りま~す!
 次回は突然の指名ですみませんが魚住さんよろしくおねがいしま~す!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年4月22日 (水)

第9回 GK川上

こんにちは。
タケトミさんからご紹介頂いた、川上です。
なぜタケトミさん?いつからFW??
ご紹介にあったような「スーパー」なキーパーではなく、他に該当者がいないためのキーパーです。
そっとしておいて下さい。
さて私の思い出のプレーは言うまでもなく「デビュー戦」です。
忘れもしない3年ほど前(この時点で既に忘れている)、前職サッカー部の後輩だった○尾に
だまされて、多摩の地まで引きずり出されたのが10数年ぶりのサッカー、しかもGKでした。
正直に言いましょう。たとえ10数年のブランクがあったとは言え、一応「経験者」として「何とかなるさ」と
「ナメて」いました。
ごめんなさい。
ボールは手につかないどころか、足にもつかず、愕然としました。
あー、思い出したくもない。
現在も「ハイボールに弱い」と言われていますが、紛れもなくこの時の「トラウマ」です。
不思議なことに、別のチームでは「ハイボールに強い」と言われています。
プレースキックも蹴れませんが、これもあの時の「トラウマ」です。
本当はタケトミさんより強烈なキックが蹴れます。
そもそも高校時代の私は「目黒のマリオ・ケンペス(古っ!)」と言われた(正確には言わせていた)右のサイドアタッカーでした。
ただ足だけが速くテクのないFWでしたが、それでも帝京高校から2点取っちゃったりなんかして、タケトミさんより少しだけチャンスに強いFWでした。
高校卒業後は、たまに高校のOBチームで遊んでいましたが、本格的には社会人になってから、同僚に誘われサッカーを再開し、社会人チームでGK以外のポジションをこなしていました。
ところが当時のGK(イタリア人)が本国に帰国してしまい、何故か「ジャンケン」でGKを決めることになり、負けた私のGK人生がスタートしました。今から20年以上も前の話しです。
その頃、いまだに「ロニー」だの、勘違いが続いている不肖の後輩○尾と出会ったため、○尾は私の
ことを最初からGKと勘違いしているのです。
それでもそれから10年弱をGKとして過ごし、かなりの試合に参加させて頂いたので、何となくGKっぽいことは出来ます(当時はちゃんとプレースキックも蹴ってましたよ、なんたって目黒のマリオ・ケンペスですから)。
ですが現実には寄る年波には勝てず、まったく自分のイメージ通りの動きが出来ませんが、やっと最近、メンバー全員の顔と名前が一致するようになったので(2年くらいかかったかな?)、これからも皆さんにご迷惑をかけないように、最後尾からひっそりと皆さんを見守って行きたいと思いますので、私のことはそっとしておいてください。
ただ間違っても小野さん、そっと布団をかけるのはやめて下さい。
最後に本当にこんなGKを暖かく支えて下さるパードレの皆様に感謝申し上げたいと思います。
本当にいつもありがとうございます。
また、皆様との出会いの機会を作ってくれた不肖の後輩○尾にも感謝しております。
彼はご存知の通り、人間性とプレースタイルに問題はありますが、奥さんはいい人なんです。
暖かく見守ってやって下さい。
皆様、これからもよろしくお願い致します。
次回はでは「汗かきボランチ」鈴木さんお願いします。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

2009年4月15日 (水)

「私の思い出のプレー」第8回 武富

思い出のプレー・・・なかなか思い出せない。なぜだろう?自分自身のプレーに納得していないからかもしれない。もっといいプレーが出来るんじゃないかなんて思っているからかもしれない。思い出に残るほどのいいプレーをしていないからかもしれない。よくよく考えると、思い出のプレー=いいプレーと思うからないのであって、残念なプレーも思い出のプレーではないか、そんな事に気づいた。いいプレーより、とっても残念なプレーのほうが記憶に残っている。そう考えると、やはりパードレの試合である。私はパードレに入って数ヶ月で、多摩市秋季シニア大会に参加させていただきました。パードレシニアの中でも若手の私は、ここで何とか活躍して本当の意味でパードレの一員なろう、そう決心して試合に挑みました。試合は、0-0の緊迫した展開。後半の終盤に、決定的なパスが足元にきました。トラップは完璧。しかもキーパーと一対一、冷静にキーパーの位置を確認しシュートしました。(この時シュートコースが見えてました。)みんなはこれは入れるだろうそう思ったに違いありません。私もこれはさすがに外さないだろうそう思ってシュートしたボールはなんと枠の外へ・・・なんてこった。これを決めていれば勝てたのに。これが私の忘れられない思い出のプレーとなりました。それでも皆さんに温かく励ましていただいたのを覚えてます。その後の大会でも決定的瞬間を外しまくっていることはみなさんご承知のとおりです。反省しています。反省の証として「サッカーがうまくなるためには」を熟読します。今回の多摩市春季シニア大会では、やっとのことで初得点でき勝利に貢献できました。でも、シュートを決めたことより、皆さんの温かい祝福を受けたことがとてもうれしく、このチームでサッカーをやっていて本当に良かったと思った瞬間でもありました。きっとパードレサッカーライフの中で忘れられない思い出になると思います。点をとらせるため?にフォワードに起用してくれてありがとうございます。調子に乗って言っちゃいます、僕フォワードになります。(^_^)そして、これからは更に個人技を磨いゴール前で美味しいパスを待ってます。どっかで聞いた言葉だが・・・パードレでサッカーをするだけでいい思い出になる、そんなチームに入って本当によかったと思っています。ありがとう、パードレ。最後に、イケてるKazuさんに、「奥様にこき下ろされている」なんて書かれていますが、たしかにサッカーに関しては結構厳しい事(死んだ川魚の目で「へなちょこシュート」だの「トラップがなってない」だの「もっと走れ」だの)を言いますが、パードレのサッカー活動に関しては理解のある良き嫁さんなのです。と言わせていただき次の方へバトンタッチします。次は、パードレのスーパーゴールキーパー川上さんよろしくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年3月 2日 (月)

「私の思い出のプレー」第7回 イケてるKazu

小学校6年の秋、県大会の決勝戦、初めてサッカーで悔し涙を流した。この試合で流した涙とコーチに言われたひと言は、今でも鮮明に心に刻まれている。自分はキャプテンで、4-3-3の右ウイングだった。 前半は完封され、大差をつけられた。意気消沈したチームの士気を鼓舞すべく、コーチは叱咤激励するが覇気の無いまま後半を迎えていた。明らかに力の差があり、相手にボールを支配される時間が続き、追加点も奪われて、ピッチには諦めムードが漂っていた。それでも必至に前へ前へ、泣きながらドリブルしたことを今でも憶えている。あまりの悔しさと自分は負けたくないという気持ちで、ピッチでひとりでプレーしていた。後半終了間際、7人抜きをして一矢を報いるゴールを決めた。(このプレーが、後に大分の釜本と呼ばれる由縁となる。)試合終了後、コーチの思わぬひと言が待っていた。サッカーは11人でやるもの、ひとりでやるなら、個人競技をやりなさい。 その言葉に納得が出来ない少年は、そのまま“俺が俺が”を貫き大人になり、個人技を磨きオヤジになって、パードレ入部に至るのである。その後の私のプレーは皆さんよくご存じの通りだ。これからは更に個人技を磨いて、ゴール前で美味しいパスを待ってよん。Viva 持ち過ぎ、万歳、俺が打つ!! 紳士のプレーが出来ない私に誰かよきアドバイスを・・・次は、未だに公式戦でゴールがなく、奥様にこき下ろされているタケトミさん、宜しく!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2009年2月 3日 (火)

「私の思い出のプレー」第6回 増田和久

気がつけばパードレでボールを追いかけて1600時間余りが過ぎていた。

34歳で入部し、今月50歳を迎える。振り返ればあっという間だった。いったい何足のスパイクを買ったのだろう。いったい何回ケガをしたのだろう。いったい何回パスをしたのだろう。いったい何点ゴールを決められたのだろう。そんなことを思い浮かべながら自分の思い出のプレーについて思いを巡らせた。

そう入部した頃に毎週よく練習したのは貝取南公園だった。このグランドで僕の草サッカー人生は始まった。一部コーナー付近に草があり、昔は芝が生えていたのかもしれない。グランドは少し狭く雨に弱い、でも乾燥している状態では平らでいいグランドだ。その貝取南公園には二つの思い出のプレーがある。ひとつは練習試合でスローインを胸でトラップしてそのまま右足のボレーシュートがサイドネットに刺さったことだ。まさに右足甲とボールの二つの芯噛みあった。気持ちがいい。当った感覚をあまり感じない。本当に芯を捉えるキックは滅多にはないことだ。自分の中で時間が止まった。まさにまぐれ当たりだった。あれ以来これ以上かっこがいいゴールは決めていないだろう。もうひとつある。それはキーパーなしでの紅白戦だった。こちらが攻め込んで相手にボールをカットされかなり長い距離を強めのインサイドキックをゴールに向かって流し込まれた。無我夢中で追いかけた。最後にゴールに吸い込まれるボールめがけて思いっきりスライディングをした。砂煙があがった。そしてゴールラインのうえで右足首を少し返した甲の内側でボールはゴールライン上で止まっていた。味方の仲間から褒められてすごく嬉しかった。たかがこんなことだが諦めないことは大切だということを改めて感じた一瞬だった。

そして貝取南公園の予約が取れないときは、時々和田公園で練習をした。小学生がよく使うグランドだ。ゴールサイズも小学生用で全体的には貝取南公園よりもひとまわり小さい。ここにもひとつの思い出がある。それはパードレ衰退期だった。この頃は練習参加人数も少なく狭いグランドを持て余していた。冬の練習日でその日は少し練習前に少し雪が降りはじめた。グランドに車で到着した。グランドには薄っすら雪が積もり始めた。もしかしたら今日はだれも来ないかもしれないと思いつつ好きなサッカーがしたいがためにグランドにでた。だが待てども待てども誰も来ない。雪は本降りになった。こんな雪の寒い日にサッカーする奴は馬鹿かもしれないと思いつつグランドにあるバックネットにボールを繰り返し蹴った。何だか涙がでてきた。サッカーが好きな仲間とグランドとボールが無いとチームは存在しないことを痛感した。和田公園の思い出のプレーは一人でやり続けたバックネットへのパスだった。

最後は、今やパードレの聖地である。宝野公園です。残念ながら特段ここでの思い出のプレーはありません。でも何よりも嬉しいのはシニアと若手の大勢の仲間と大好きなサッカーが毎週できることです。まさかいつもフルグランドで紅白戦ができるようになるとは夢にも思いませんでした。みんなで部員募集をして輪が大きくなっていった。ありがたいことです。これからも長くみんなと楽しくパードレライフをエンジョイしていきたいと思います。

0902072

みんなの自慢のチームそれがパードレです。

次は魅惑のミドルシューター竹尾さんお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月24日 (水)

「私の思い出のプレー」 第5回 大塚竹幸②

一年前の秋季多摩市シニア大会、多摩市陸上競技場。俺たちパードレFCは多摩シニア戦を戦っていた。

すでに、前後半を戦いスコアレスドロー。PK戦へともつれ込んだ。

俺は昔からPKは一番に蹴っていた。いや、一番に蹴ると決めていたのだ。それは、五人に選ばれた勝負の重圧を跳ね返えすのは一番のキッカーがズバット決めるのが最もいい方法だと思っていたからだ。そして、一番を蹴っていた俺は一度もはずしたことがなかった。 そして、このゲームは俺にとってパードレに参加して初めてのPK戦。 

少し、沈黙があり、「一番は俺が行く」の声がした。菅原さんだった。 「あれっ、出遅れた・・・」と思い、すかさず「じゃぁ、俺二番」。『じゃぁ、俺二番』とはなんとも消極的な。

でも、まぁ菅原さんならズバッと決めてくれるからそれを絶やさないようにすればいいかなぁ。なんて思いながら、一番にいきたかったなぁと思いつつ、増田さんには芝でのPKのキックは踏み込み足が沈むから、ボールの中心より少し上目くらいを狙って、絶対にふかさないシュートをしようと申し合わせをしていた。

そのとき、一回目の笛の音。『ガーン、はずしちゃったよぉ。』俺の予想外のことが起きてしまった。 勝利の方程式がぁ・・・。

そんでもって、俺の番。気持ちの整理をしなくてはいけないと思い大きく深呼吸をした。    このとき、既に決めていた。左サイドネットに思い切りインステップで蹴り込む事を。しかも、ゴロで。そのためには、さっき増田さんと相談していたボールの少し上を蹴ること。俺はそれに集中していた。

笛が鳴り、俺は助走に入り最後の一歩を大きく踏み込んだ。『吊った!?』振り上げた蹴り足のふくらはぎが・・・。こんな時に『ガラスの右足』が・・・

でも、そのまま気合でシュート。ボールの下目を蹴ってしまった。そして、ボールは狙いとは違いキーパーの頭の上とバーとの間だった。『やっちまった』と思いきや、俺のロナルド・クーマンばりのキャノンシュートはキーパーの両手をすり抜けてゴール!   「我ながら、なんと運のいいやつ。」 でも、チームには運がなくPK戦は負けてしまった。

時は流れ、2008年10月26日俺たちは2日間の御殿場シニアマスターズに参加し、決勝の舞台にいた。 前後半終えてドロー。 そして、PK戦へ・・・

試合終了の笛が鳴ると同時に俺は五人を決めていた。

一番はズバッと決められるやつ。 「張、おまえだ!」張は指名したら、何とも弱気な顔をした。これはまずいと思い、みんなで張を盛り上げた。そう、この状況で張しかいないのだよ。2日間のゲームをフルでこなし足腰にパワーが残っている君が一番に決めるのだ。

二番、ハビエル。彼は冷静に決めてくれるだろう。この2日間のゲームを見てもゲームメーカーとしてがんばってくれた。

三番、菅原。今度こそ大丈夫。普通にやれば何の問題もない期待の人。

四番、内藤。ハビと同じ冷静にゲームを組立、コントロールしてくれ攻守の要だった。緊張する場面でもしっかり決めてくれるだろう。

五番、俺。相手の誰かが外せば、うちの4人で終わりだから俺には廻らないかも・・・なんとも消極的。しかも、今回も一番を選ばなかった。なぜかって・・・それは最後に。

一人目、緊張している張くん。変則的な助走を取りながらシュート。左にズバッと決めてくれた。俺の予想通りだ。

二人目、ハビちゃん。南米人らしく余裕のシュートで決めてくれた。俺の予想通り。

三人目、菅原さん。あの時と同じインサイド気味のキック。枠の外だ。俺の予想外?

まずいぞ、これは。俺まで来るぞ。俺は慌ててストレッチ開始。あの時みたいにキックの瞬間に吊るなんてことはもうできない。しかも、今度は自分で決めた順番で一番目立つ五人目だぞ。

でも、すでにキーパーの魚住さんが2つ止めている。異様な盛り上がり。かっこよすぎだよ魚住!おかげで、四人目と五人目にかかる重圧はかなりのものになってしまった。

さぁ、4人目、内藤。やっぱり、あいつは冷静に右サイドにコロコロシュートで決めてくれた。

そして、敵さんも決めてしまったので、ついに俺の番。決めれば優勝という場面だ。

俺はゆっくり歩きながら、決めていた。ズバッとインステップで左隅へと・・・。

舘ちゃんから「キャプテーン」の声。女の子じゃないのかよっ、 「なんだよ。わざと緊張させるなよ。今、重要な精神統一してるんだからさ。」と思いながら、ニッコリ笑いながらみんなのほうを振り返る。審判に背番号を見せて、ボールをセット。ゴール裏には俺たちのPK戦を楽しんでいるギャラリーがズラリ集まっている。 相手キーパーの足元を一瞬見て助走に入り、最後の一歩を大きく踏み込みボールの中心の少し上を右足でインパクトした。次の瞬間、俺の狙い通りボールは低い弾道で左サイドネットに突き刺さっていた。

「勝ったぁー。カッコイーッ」

振り向きながら俺は右手を上げた。みんなが駆け寄ってきた。一番に笑顔で走ってきたのがなんと、寡黙なタイプの内藤だ。予想外。そしてみんなと抱き合う。最後に走り寄ってきたのが、増田さんだ。増田さんはもう半泣き状態だった。そして、抱き合い喜びを分かち合った。俺の大切な思い出のプレーになった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年12月23日 (火)

「私の思い出のプレー」 第5回 大塚竹幸①

同じ単身赴任帰りの大塚です。わたしの場合は10ヶ月でしたけどね。エ

掲載が遅れましたが、上野さんからご指名を頂いてしまったので、少々書かせて頂きますが・・・。

といっても、「う~ん、ないぞ、いいプレーが・・・」

題名が「思い出のいいプレー」ではないので、まっいっか。

サッカーはミスのスポーツということで、やっぱりミスの思い出や怪我の思い出ばかりですね。なんたって、パードレ初参加の日に水溜りに足をとられ転倒し、右ひざの靭帯を伸ばしてしまったのですから。

いいところなんかある分けなく、怪我との戦いでしたなぁ。膝が痛くない時がなく、いつも激痛を我慢して練習やらゲームをしていました。「何でそこまで?」とも思いましたが、テーマは「甦るサッカーマン」でしたから。止めるわけにはいかなかったのですゎ。

膝が痛いと、『走れない、蹴れない』わけで、痛いから苦しいより、まともにサッカーができないことが辛かったことが思い出されます。

サブテーマは『ガラスの右足物語』です。そんでもって、『甦る黄金の右足』になるまで戦いは続くのです。

そんなとき、パードレ初の海外遠征が決まりました。韓国遠征合宿です。なんと、そんな、すごいって感じでした。怪我をしていても、ゲームができなくても、なんとしてもみんなとサッカーがしたいと思い参加しました。

この合宿のすべてのプレーが思い出のプレーともいえます。宿泊しているソウル市内から高速道路で1時間以上かけて行ったグランドは高等学校のグラウンド、休日なのに学生が教室で勉強していました。そして、はじめて行ったのに『定期交流戦』の横断幕。\(゜0゜)/あれ?ムッ、来年も? (多摩市から中央道で甲府まで行った感じかなぁ。とにかく遠かった。)

そして、朝から夕方まで、サッカー三昧。『どんだけサッカーが好きなのよ。あんたたち(韓国のみなさん)。』

昼にはおなか一杯になるほどのブドウやスイカのプレゼント。(食いきれねぇー)。

夜は夜でまたソウル市内へ1時間かけて戻ると、彼らが住んでいる団地の商店街の入口に「パードレ 熱烈歓迎」の横断幕だ。『そんな馬鹿な』

日本代表と間違うような歓迎ぶりじゃあ~りませんか。どうしてそんなことができるのぉ?  そして、懇親会で食べた1人一羽の烏骨鶏のサムゲタン(蔘鷄湯)うまかったなぁ!(なんと贅沢な)

サウナとマッサージ『ちょー気持ちよかった』ということで、合宿2日間のサッカーのプレーの思いではぶっ飛んでしまいましたとさ。

でも、右足の痛さをも忘れるほどの最高の合宿だったことは間違いありませんでした。そして、思い出のプレーの凝縮でもあったのです。でも、すっかり右ひざは腫れあがっていましたけどね。

その後、ガラスの右足は8回の水抜きと6回のヒアルロン酸注射を経て2年がかりで痛みから開放されるのですが、右ひざをかばうあまり、左右両方のふくらはぎとハムストリングスの肉離れを経験し、さらに、かかとにトゲができる踵骨棘という激痛に悩まされ、最後には今年ぎっくり腰を3回見舞いました。学生現役時代にはありえない経験をしています。筋肉が鉄の鎧となっていたのにもろくも崩れていたわけです。

でも、闘志だけは失わず、最近はワコールの鎧を着て怪我に備えてあの世にもっていけるほどのいいプレーが出るように練習しているわけですぅ。

いつか、ガラスの右足から黄金の右足になる日を願って・・・081223

さぁ、次回は同じ単身赴任つながりで、ミスターパードレにお願いします。

増田さんの登場です。

みなさん期待のあの話が飛び出すのでしょうか?

増田さん、よろしくお願い致します。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

2008年12月 7日 (日)

第4回「私の思い出のプレー」上野敦良

2年3カ月の大阪単身赴任から戻り、リハビリ中の上野です。小野さんからご指名ですので第4回を書かせていただきます。パードレ一番の思い出は、やっぱり多摩市秋季シニア大会で初めて優勝できたことでしょう! シニア大会に参加し始めたころから何年続いたでしょうか、参加すれはいつも2位、準優勝といえば聞こえはいのですが参加は3チームのみ、また駄目か・・・ の連続でしたので、あの優勝の瞬間の歓喜、何物にも代えがたい一瞬で、この時ほどパードレでサッカーを続けてきてよかったと思ったことはありませんでした。ところがこのときの試合内容はほとんど覚えていないのです。ほんとに情けない気がしますが、皆さんは覚えていらっしゃるのでしょうか?しかしながら、はっきり覚えていることがあります。自分がミスして得点された時の情景はハッキリ覚えているのです。それは、6、7年前の12月のシニア大会でした。永山さんにはいつもの様に順当に勝って、多摩シニアさんとの試合でした。この試合に勝てば念願の優勝となる試合で、前半は両チームとも無得点、後半も押され気味ながら何とか無得点に抑え、わが方もチャンスは度々ありましたが、試合はすでに終盤でした。多摩シニアさんは30年も前のフォーメイションを頑固に守りぬくチームで、スイーパーを置いた4-3-3のシステムでしたので、当然両サイドに開いたFWがいます。場面はMFから右FWに縦パスが入って繋がった状況でした。セオリー通りサイドにドリブルするように位置をとり、その通りに左サイドに追い込んでいったそのとき、サイドライン付近から一瞬センタリングを上げられたのです。フワフワとしたボールが誰も詰めていないゴールの方に上がっていきました。周りが見えていないFWがセンタリングを上げたものと思い、キーパーが取るかエンドラインを割るだろうと思って振り返った時のことです、なんとボールはフワフワ~~とキーパーの頭を越えて逆サイドネットに吸い込まれていくところでした。アー!しまった!!! 苦し紛れのシュート?だったのです。 結果0-1でまたまた負けてしまったのです。 あの時、体をもっと寄せて(体を着けて)ボールを上げさせないようにすべきだった!「後悔先に立たず」とはよく言いますが、この時ほど思い知らされたことはありませんでした。これ以来、<教訓その1:>なるべく体を寄せるように心がけています。(ところが、最近は体力的にぶっちぎられる事が多くなってきました。残念)もう一つは、これも多摩市シニア大会で、確か永山さんとの試合だったと思いますが、MFからセンターBKのうらにスルーパスが入った時のことです。 これはヤバイ!と思いFWと競争状態でダッシュし、お互い90度の位置からペナルティーエリア内で同時にボールに触ったのです。相手はシュート体勢、こっちはブロック体制で右足を伸ばし(地面に45度の角度で足を出したもので消して滑っていません)ブロックに成功したその時、主審(多摩シニアの某氏)の笛が「ピー」と鳴ったのです。(シニア大会ではスライディングタックルは禁止されています。)間接FKを取られてしまったのです。「それはないだろー!」「スライディングとブロックの違いが判らなんのか!」大声で主張したかったところですが、この主審はすぐにカードを出す癖がある人なので自重しました。そう思いながらも壁を作りつつあったそのとき、突然、主審の笛が鳴り横に出されたボールをシュートされてしまいました。なんと、ボールはゴールに吸い込まれていったのです。アーアー後悔後悔!!! <教訓その2:>FKを取られた時は、主審から離れろと言われるまではボールの前に立ってすぐにキックされないようにする。あと、怪我したときのこともよく覚えています。左足の骨折2回、シュートをブロックするために左側から左足を無理に出した時(右足が正解)ヒ骨がボキッ!全治3カ月でした。また、フットサルで急に方向を変えるために内側の左足で踏ん張った時(外足が正解)踝がグショ! またまた全治3カ月でした。いずれも人体の摂理に従わず無理したときに怪我しています。体は年とともに衰えてきます。シニアのサッカーは無理しないことが大切だと最近やっと解ってきました。皆さん気をつけましょう!

皆さん「後悔先に立たず!」ですよ。とは言うものの思い切り楽しいサッカーしようではありませんか。

5回の投稿はパードレの闘魂、ファイター大塚さんにお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年11月 1日 (土)

「私の思い出のプレー」第3回 小野良造

Photoこのコーナー、松尾さんのご指名は金さんでしたが、代打ちで小野が担当します。

さて、いつの何を書こうかと少し考えたのですが、思い出すのは宝野公園でGKやってて至近距離からシュートされたボールが左耳を直撃し「ポヨ~ン」というマンガの吹き出しのような音を立てて鼓膜が破れちゃったこととか、貝取南公園でぬかるんだグラウンド上でやはりGKやっててボールを相手FWと競っていたらぬかるみに足を取られた相手FWの膝がゴツッと肋骨に当たりヒビが入っちゃったこととか、雨にもかかわらず和田公園での練習に行ったら4人しかメンバーが来ていなくて仕方なくPK練習をしてたら私がGKのときに運悪く右手首の骨にヒビが入っちゃったとかトホホな場面ばかりで、いいプレーがなかなか出てこないのです。

そんなはずはない、私にだって一つぐらいあったはずと必死に記憶を手繰り寄せたところ、夢のような素晴らしいプレーが甦ってきました。

パードレ創設以来ずっと右サイドバックをやっていたのに飽き(GKやると怪我するし)、自ら「フォワードにコンバートします」宣言をした直後だったから、5年ぐらい前か、いやもっと前だったかも…。

芝生の陸上競技場で12月にやった多摩市シニア大会で、パードレの人数が少なかったためいつもは多摩シニアで出場する北貝取小の武田カントクにパードレの方に入ってもらって戦った時です。それくらいまだパードレ・シニアが発展途上の頃ですね。

敵(マグレブ)の攻撃をかわし守備から一転攻撃に変わり、ボールが左サイドバック(たぶん上野さん)あるいはボランチの誰か(失念、失礼!)に渡ったところでFWの私がボールを受けに行ったのですね。左のハーフには武田カントクが開いて貼っています。ボールをもらった私は前を向けたので一瞬ためて、左サイドを走り出していた武田カントクの前方に向けて相手二人のDFの間にスルー・パスを出しました。ほど良いスピードで武田カントクに擦り寄っていくボールはドンピシャッと収まり、カントクはドリブルでそのまま上がっていきます。ボールをパスするや否や私はゴール正面に向かっています。速攻ですね。

相手DFの一人が私を阻止しようとゴール前で待ちうけようとする。武田カントクとアイ・コンタクトした直後私にゴロのボールが向かってきた。

私と相手DFの位置関係は、ゴールの左ポスト寄りのペナルティ・エリア内に入ったあたりのところ。私はDFと競り合うようにこちらに向かってくるボールを取りにいく。

そこで不思議な現象が起きたのです。

先にボールに近づいた私は、左足でトラップする時に少しボールを浮かせて逆サイド方向へ流し、同時に体を時計と逆回りに反転して相手DFを置き去りにして、2タッチ目でゴール左コーナーにシュート。これが決まっちゃうわけですが、この一連のプレーがボールを受ける時にプレイバックのスローモーション映像のように流れたのです。相手の動きに応じた自分の動きが事前に分かってしまう、よくホームランを打ったバッターがボールの縫い目が見えたとか言いますが、それと同じようなことなのかもしれません。これには自分でもビックリ。天才?

「相手DFがチョー・ヘタだったんじゃないの?」って言わないでね。相手に失礼です。まあでも多分そうだったんでしょうけど。いずれにしても私にとっては夢のようなプレーでした。そしてここから私の輝かしいFW人生が始まるはずでした。しかし悲しいことにあのプレーでピークを迎えてしまったのです。

というか、あれは夢のようなプレーでもなんでもなく、ただの夢だったのかもしれません。妄想の中ではあの程度のプレー、いつもやっていますから。

次は、今年長いオツトメから多摩の地に帰還された左サイドバックのスペシャリスト上野さんにお願いしたいと思います。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年9月11日 (木)

「私の思い出のプレー」第2回 松尾憲生

DF石田にラストパスを出したらしい松尾です。

確かにパスをもらって、もたついている私の横を、風のように走り抜けたDF石田がいた。DF石田はその後も同じケースや、私からのバックパスを、ゴール前にいい球をセンタリングする。実に小気味いい。

サッカーを始めて40数年。さまざまなシーンがあった。インターハイや国体出場を決めた試合などだが、ほとんど覚えていない。年齢を重ねると、遥か昔のこと、特にガールフレンドのこと、負けた試合のことを、昨日のことのように熱く語り始める友人がいる。「あの娘はどうしているか。かわいかったなあ」「あの試合はああだった」「あのミスがなかったら」と。あの娘はもうばあさんになっているし、負けた試合を酒の肴にはしたくはない。実際は、ほとんど覚えていないのだ。「次」のことしか考えていなかったのだと思いたい。

そんな私でもはっきり覚えているシーンがある。

パードレが設立されて、なかなか勝てない日々が続いた。特に市の大会では、多摩サッカークラブには勝てない。何年前のことだったろう。その日、宝野公園で因縁の多摩クラブと戦っていた。両チームとも、なかなか点が入らない。多摩クラブのキーパーは大柄の比留間。

攻めている時間帯だ。右サイドのウイングの位置にいた私の足もとへ、MF菅原からパスがきた。FW、CMF、ボランチが、ゴールに向かって走り込んでいるのがわかる。アタマひとつ飛び出した大塚が手を挙げている。多摩クラブのDFも必死に下がる。全員が全員、ゴール前にロブが上がると予想している。もちろん私もそのつもりだ。私の狙うポイントはひとつだけ。大塚の走り込む位置、ペナルティマークから少しゴール寄りに、ピンポイント・クロスのイメージができあがっている。得意のパタンだ。攻撃するチームメンバーも、多摩クラブのDF陣も、おそらくそう思っていただろう。

私のほうを見ながら、大塚は手をあげペナルティエリアに突入した。私はイメージどおり蹴った。インステップキックだった。ボールは弧を描いて、大塚の頭をとらえる、はずだった…。

悲しいかな、私の蹴ったボールは弧を描くどころか、ペナルティアークへ向かってマイナスにゴロゴロと転がっている。ヤバい、ミスキックだ。力の入りすぎだ。私は自分の不甲斐なさを呪った。「サッカーなんかやめちまえ」という思いで胸はいっぱいになる。しかし、ボールの転がるエリアはポッカリと空いている。ゴールに向かって走り込んでいたFW佐藤が、急ブレーキをかけ、必死にターンし、右足で回転しながらシュートを狙う体制に入った。

FW佐藤がキックしようとしたその瞬間、レフトのウイングの位置から横に走り込んできていたMF金から、「スルー」の声が聞こえた。FW佐藤の右足は、空を切った。MF金は、そのスルーされたボールを右足で的確にとらえた。予想もしないところでけられたボールに、相手DFは体制を整えられない。ボールは相手DFの間を縫い、砂塵をあげながらゴールマウスの右隅に吸い込まれた。あの相手GK比留間が必死に横っ飛びしても届かなかった。

この光景は、いまでもはっきりと私の脳裏に刻まれている。多摩クラブに公式戦で初めて?勝った試合、初めて市の大会で優勝した試合だったのだ。

今年56歳になる。中学・高校時代、パードレに入ってからも、しばらくの間、ポジションはFWだった。足も速かったと思っていた。でも若いメンバーが増えてくると、「まだやれる」と思っていた自分の体力やプレーが、みんなについていけなくなるのがわかる。相手をかわして、ゴールラインまでドリブルしてマイナスにロブをあげることができなくなる。抜いたと思っても、すぐに追いつかれる。キープできなくなるのだ。MF金は、確か同い年だが、自分のスタイルを守っている。大したものだ。

打開策は、相手のアタックの直前に味方にボールを預けることだ。幸い、周りにはMF菅原、竹尾が走り回り声を出してくれる。DF石田が後ろでフォロー体制に入っている。だから無理に抜こうとはしない。

私はFW経験のなごりで、上がりぎみのWING・MFである。ボールを受けるのも前線に近いエリアが多い。だから自分の好きなプレーは、相手DFのウラ、相手GKの届かない微妙な位置にロブボールを落とすことだ。アーリーなクロスは、FWとの呼吸が合わないとうまくいかない。FW能勢がオフサイドぎりぎりに張っているのがよく見える。FW能勢も今にも走り出そうとしている。私は、その瞬間的な走り、爆発力に期待するのである。

もうひとつある。右サイドからセンタリングする時には、FW大塚のアタマが飛び出して見える。相手DFが小さく見えるのだ。その圧倒的な存在感は、とかく目標を見失いがちな私を安心させてくれる。そうだ、あのアタマにあわせるのだと。というわけで、長々と書いてしまった。次はMF金の若さ、強さの秘密の暴露に期待したい。021

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2008年9月 9日 (火)

「私の思い出のプレー」第一回 石田豊

僭越ながら、一番切り込み隊長を務めさせていただきます石田です。

パードレに入ってサッカーをはじめ9年が経ちましたが、思えば色んな珍プレー、凡プレーがあったような気がします。

今回は中でも印象に残っている「天国と地獄」をお話しします。

サッカーを始めて3,4年目でしょうか、多摩市秋季大会(東公園)でのこと。相手は永山ベオーニさん。2対0でリードしていた後半。

CBだったにもかかわらず僕は調子にのって前線へと駆け上がったのです。
ボールがMF松尾さんに渡り、その横を疾風のごとく?(自分だけそう思っている)
駆け抜けた、そのとき。まさにドンピシャのタイミングで最終ラインの裏をとるナイスパスが松尾さんから。
普段の僕ならここでトラップミスかドリブルミスなのですが、なぜか上手く納まり、
前を見ると、キーパーが飛び出しているではありませんか。
ここでまたまた普段なら、緊張と戸惑いで、地蹴りするか、大きくフカスかが常なの
に天からの声がしたにちがいありません「ループシュートだ!」と。
なんのためらいも迷いもなく蹴ると、見事な放物線を描き、キーパー頭上を越え
ネットを揺らしたのです。まるでスローモーションビデオを見ているように。
「この初ゴール、決して忘れないでくださいよ~」という暖かい増田さんからの祝福。
何しろ公式戦初ゴールだっただけに天にも昇る気持ちでした。
「決して、この初ゴール忘れません!!」

そして三多摩大会、一回戦。相手は確か小平代表。
互いに決定機なく膠着状態で後半も残り1,2分という場面。誰しもがPK戦を
予期している時間帯。相手キーパーからのパントキックがバックスの僕のところに。
FWと熾烈なボール争いの中、懸命なクリアー!!
と思いきや、力加減・方向・タイミング全てがドンピシャで、「あっ」と思った瞬間
には味方キーパーの頭上を越え、無情にもOG。そこで終了のホイッスル。
蹴る瞬間に悪魔の囁きが聞こえたにちがいありません「ループオウンGOALだ」と。
まさに奈落の底に落とされた気分です。ドーハ以上の悲劇です。
チキショ~~~、「この公式戦 初オウンゴール。決して忘れません!!」

初ゴールと初OG。天国と地獄。
でも、そうそう上手くいかないからサッカーはやめられません。

でも、思えばそんな派手なプレーも思い出しますが、
いつもの練習、普段の練習での紅白戦やミニゲーム。
そんな中での、ほんの些細なプレーこそが、本当の思い出のプレーかもしれません。
誰も見ていなくても、自分なりに納得がいくプレーができると、いつまででも
心に残るものです。少なくとも、その週の前半部分は、その余韻に浸って過ごせ、
後半は次の土曜に向けて、あたかも自分がファンタジスタにでもなったような
イメトレをして、練習を待ちわびる。
そんな毎週が、楽しくてしかたないのです。
そんな思い出のプレーを毎週演出してくれる、パードレに、そして皆様に感謝!!
パードレ最高!万歳!!

次の執筆者は、僕に”初ゴールのラストパス”をくれた松尾さんにお願いします。
020

石田

| | コメント (1) | トラックバック (0)