「私の思い出のプレー」第7回 イケてるKazu
小学校6年の秋、県大会の決勝戦、初めてサッカーで悔し涙を流した。この試合で流した涙とコーチに言われたひと言は、今でも鮮明に心に刻まれている。自分はキャプテンで、4-3-3の右ウイングだった。 前半は完封され、大差をつけられた。意気消沈したチームの士気を鼓舞すべく、コーチは叱咤激励するが覇気の無いまま後半を迎えていた。明らかに力の差があり、相手にボールを支配される時間が続き、追加点も奪われて、ピッチには諦めムードが漂っていた。それでも必至に前へ前へ、泣きながらドリブルしたことを今でも憶えている。あまりの悔しさと自分は負けたくないという気持ちで、ピッチでひとりでプレーしていた。後半終了間際、7人抜きをして一矢を報いるゴールを決めた。(このプレーが、後に大分の釜本と呼ばれる由縁となる。)試合終了後、コーチの思わぬひと言が待っていた。サッカーは11人でやるもの、ひとりでやるなら、個人競技をやりなさい。 その言葉に納得が出来ない少年は、そのまま“俺が俺が”を貫き大人になり、個人技を磨きオヤジになって、パードレ入部に至るのである。その後の私のプレーは皆さんよくご存じの通りだ。これからは更に個人技を磨いて、ゴール前で美味しいパスを待ってよん。Viva 持ち過ぎ、万歳、俺が打つ!! 紳士のプレーが出来ない私に誰かよきアドバイスを・・・次は、未だに公式戦でゴールがなく、奥様にこき下ろされているタケトミさん、宜しく!
| 固定リンク
「私の思い出のプレー」カテゴリの記事
- 「私の思い出のプレー」 第13回 高石義一(2009.11.10)
- 「私の思い出のプレー」 第12回 舘野裕治 (2009.09.03)
- 「私の思い出のプレー」第11回 魚住(2009.08.05)
- 「私の思い出のプレー」第10回 鈴木(2009.07.13)
- 第4回「私の思い出のプレー」上野敦良(2008.12.07)


コメント
ロニーとビック釜(当時のあだ名)は体型もプレイスタイルも明らかに違うぞっ。(笑)
なんでもいいから、俺にパスをよこせ!
投稿: ガラスの右足 | 2009年3月11日 (水) 12時10分
了解!韓国でガラスの右足殿の頭に合わせたFKをイメージして、次の多摩戦でパスを出すのでリベンジです。復帰、待ってますよ!
投稿: 肉離れ2回目 | 2009年3月11日 (水) 22時32分